算数の答案で不正解とされる例を見て +
インターネットなどで時々話題になる『学校での採点基準例』💯🖊
想定外の”バツ”を付けられたという他人の投稿を見て、「納得がいかない」「教育がおかしい」などと非難殺到する、という類です。
以前偶然見掛けた例というのは、小学校低学年向けの文章題に対する答案で【式】の部分に、授業でまだ習っていないはずの〔掛け算〕を書いたら不正解とされた(”+”を並べなければならない)というもの。
同レベルの議論をここでも繰り返す、という方向にもっていくつもりはありませんので、着眼点を限定したいと思います。
その中で見掛けたある一つの論点、
『日本のテストは出題者の望む通りの答えを導き出す力を試しているだけでは?』
という見方、に絞って、少し考察します。
【教育論】ではなくて本質思考が軸、ですよ🤔
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ネット上で取り沙汰されるこの類の事例に対しては、「これはあり得ないよね😞」側の評価が圧倒的に優勢です。だから取り沙汰されているわけで、やはり当方も「バツされるのは嫌だな」という感想です。
今回の例では、多勢の見解はどちらかというと「その通り」なのだと思います。
そんな中で挙がった一つの争点、
『出題者の望む通りの答えを導き出す力を試すのか?』
ということの是非や〔試験〕のあり方、というものは、総合的に捉えたならば、既成の事実、つまり
「実状としては多くの場合その通りなのでは?」
と感じています。
当方がそう示すと、直感的に「そんなのおかしい!」「変わるべき!」と思いましたか?
考えてもみてください。
もし、出題者の「主観」が一切入らない無機質な要素のみで成り立つ設問だとすれば、それに答えるべく事前に取り組むべき学習姿勢はどうなるのでしょう。
それこそ
「画一的な学習成果」や
「取って付けたような応用の利かない知識にすぎないもの」
を試すもの、になってしまいかねないと危惧します😫
それではまるで初歩のAIのようではないでしょうか。INPUTから得られるOUTPUTが単調なものになります。
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東大や京大の入試問題を見たことがありますか?
当方を含めた素人目には「こんな問題、見る人によって採点結果に大差が生じるのでは?」と思わざるを得ないです。もちろん『応用力』が問われていることは間違いないのでしょうけれど、結局は「望まれる答え」を出す力なのだと思います。
そんな要素が盛り込まれている場合に試されるのが『総合力』であり、勉学の領域以外でも活きる『生きるためのチカラ』なのであって、
〔通り一遍の知識を問う試験〕なんかよりはまだ良い
と思います。
「これは小学校のテストであって東大入試ではない!」との指摘はその通りです。だからといって「初歩段階なのだからまだ」という捉え方を当てはめてしまってもよい類なのでしょうか?
それこそ要件を外してしまっているように感じます🤪
それとも、「東大の入試問題の構成は邪道だ!」とか言ってのけますか?(笑)
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また、例として挙げるには領域がかなり異なり、当方の中で連想されただけなのですが、就職などの採用面接なんて、担当者の好みでしかない。
あいにく不採用になった際の決まり文句である「今回ご縁が無かったということで…」とは、社交辞令的なものではなく、真っ当な表現です。「当方(わが社)にとっては」という前置きが付きます☝
本人が(あらゆる尺度で)優秀か否か、が根拠とされる割合は意外と低いのかもしれません。
教育論においてもおそらく例外ではなく、「答えは一つではない」のでしょう。
どっちにどう転んでも、見方の角度を変えると、「何それ?😎」と多数派に加勢して非難したくなるのが人の心理。
ただ、本事例(冒頭のネット記事)でもみられる『短絡的な評価』はいかがなものかと。
その前にまず、もっと深く本質について考えてみてはどうでしょうか💡というお話でした📖
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