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SNSつぶやきの影響力と副次的要素《前編》

 報道ニュース。【テレビラジオ・新聞】から【ネット配信及びそれに準ずるもの】というツールに主軸が移ってきていますね。
 並行して、報道機関ではなく、個人発信のSNSが”気軽”になり、誰もが情報ソースになり得る世の中。小回りが利くし、スピード・リアルタイム感があるし、有意義な場合も多いでしょう。それの代表格が、『鉄道の○○線が運航停止中』など。

 それの効用(的要素)については否定しません。でも、「何でもかんでも」になっていませんか?
 『自分由来で率先的に発信する人』が報道レポーターぶっている類があるのはもちろん自由なのですが、上述した要件以外に、ここでも”本質外し”な展開があるようで、つまり「行き過ぎて」しまった例が散見され、残念に感じます😞
※「過激な取り沙汰」系を連想される方が多数かと推測しますが、決してその着眼ではなく、表面上”穏やか”で気遣い語句が含まれたもの

 それはつまりどのようなことを指しているのでしょうか。
 貴方は察しがつきますか?特に、第三者なので傍観者的にほぼ無視しているスタンスの方であれば多少は…

 

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概ねローカルなhot news展開でしょうか。
◆交通事故があった
◆火災が発生していた
などの事象やその現場の様子(惨状)について、ごく個人でしかない立場から”報道”する。
 その『SNSつぶやき』には、当事者に対する「心配・気遣いのようなフリ(ニュアンス)の文面」が含まれていたりもしますが、つまりは”晒し”要素が本質的主旨

 他方で、それを知った側として。自身にとってメリットが享受できる類なら〔情報〕として価値があります。でも、結局は「それは可哀想」「ひどい出来事」「何をやらかしてくれたんだ🤨」…のような要素しか生まない事案がほとんどなのでは?
 具体的文字にしてしまうのは憚られるのですが、「面白がっている」寄りの心象があるからこそ言いたくなる要因が根底にあって、もし
【自己満足 < 当事者への配慮】
だとすれば取り沙汰は差し控える心得の方が勝るように思うのです。

 

 繰り返しになりますが、〔メディア報道〕とは役割が異質なわけです。個人がその手の”報告”を発するのは、もし〔使命〕を感じているのであれば”履き違え”であるし、「SNSの時代だから」と”おせっかい”寄りな要素込みで粋がってやっているのなら、それは

その事案に直接関係している人に対する無神経・無配慮な態度

になっていることに気付かないのでしょうか。そのような「嬉しがり」の稚拙要素はとても恥ずかしくもあり、残念な【気付き力の鈍さ】の顕れではあるように感じられる事例があります。

 

 さらに。
 本稿で上述の”気付き”提起に触れた人が、先入観無く冷静かつ客観的に受け止められた場合には、こう感じるでしょう。
「あなたが見なければよいだけなので放っておけばよい」 --- 。
 確かにその通り。

 が、これの展開の残念なところは、まだ副次的な面があります。

 個人の満足で発言したい、に留まるのならまだしも、なわけです。
 同様に「第三者」の立場であるその”周辺”が、発信者に対し「いい人」との評価をくだすに至るのが気掛かりです。つまり、「あなた、そんなことわざわざここで言っちゃうの?当事者の気持ちも少しは顧みてみたらどう?」とならない・・・

 「この人が言うことには賛同」という同調姿勢の方が先にあるのがどの程度深いのか計り知れませんが、特に「そうでもない」場合に”なびいて”しまう展開は、本質把握からかけ離れている様子が多分に感じられるのです(~_~;)

 
 表面上”配慮”のフリをした言及をしたがるその心意気は、渦中にいる当事者にとってのマイナス効用をもたらしかねないことに気付きたいものです。

 

 

《20220117 18時頃、後編へのリンクが有効化します》

 

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