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【一日一言】新渡戸稲造氏に学ぶ相対性理論、という訳ではないですが…。

●はじめに

「えせものは人の歎き(なげき)を喜びて 善きを聞いてはそねむなりけり」

『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎 より。

同書籍「三月十三日」に書いてある一節から引用しました。

新渡戸稲造氏いわく、

「他人に災いがあればいいと思う人は、
すでに自分に災いがふりかかっていることも知らず、
芋が煮えたのも知らないということにも劣る無知なもの」

だそうです。

他人の不幸を喜ぶような人は、世間知らずより恥ずかしい人、という事らしいです。

お釈迦様も新渡戸先生も、相変わらず歯に衣着せず、読者の私をズバリと斬ってくれてます。

「 芋が煮えたのも知らない」=世間知らず
という慣用句です。

昔は里芋が馴染みの深い食材だったため、当時は、「まともな大人なら芋くらい煮て食べれるだろ」という認識だったみたいです。

今風に言えば「カップラーメンにお湯入れて食べる事もできない」くらいの御曹司、御令嬢みたいな感覚でしょうか?

※料理できない人や御曹司御令嬢を罵る言葉ではないし、そのつもりもございません。

●比べてしまう

私はこの言葉から「うちはうち、よそはよそ」というフレーズが脳裏をよぎりました。

人間って、どうしても人と自分を比べたがる相対的思考の生き物で、大なり小なり、そういう傾向はあるのかなと思います。

自業自得という面もありますが、炎上した有名人が「叩かれてる」ニュースが流行るとか、
一方で急速に富豪となったいわゆる「成功者」が得意になっていると面白くなかったり、とかそういうのです。

そういう「成功者」が転落すると手を叩いて喜ぶ方々も一定数いらっしゃるようです。
…気持ちは分からないでもないですが。

ただ、「叩かれてる」人の中には、誤解やフェイクニュースで「メディアのおもちゃ」として吊し上げられた方もいるかもしれませんし、
いわゆる「成功者」も、表ではなんの苦労もないようにみせてるだけで、その裏では筆舌に尽くし難い苦労や努力を重ねてようやく芽が出た方なのかもしれません。

●比べるものがないと不安

何かと比べなければ、比較対象物がなければ、今自分がどこにいるのかも分からないというのはあります。

朝起きて、前後左右天地見回しても真っ白な壁で覆われ、時計もなく音もない部屋にいたらそれはそれは不安になることでしょう。

だから、自分と人様を比較して、「私は不幸」「私は幸せ(まだマシ)」という具合に心が揺れ動くのかと。

●頭を高速で上下するより…

ただ、そんなに上を見て下を見てを繰り返し、頭を上下に動かしていたら首が痛くなりそうです。

だから、たとえ真っ白な部屋に閉じ込められていても、ゴロリと寝転がるなり、座禅でもして瞑想するなりできるようならいいのかなぁと思ったりします。

いわば、「我いまここに在り」という心境です。

「とりあえず空気があって良かった」くらいに思えたら、思考回路としては相当ポジティブなんだと思います。

自戒の意も込めて綴ってみました。

●まとめ

「他人と自分を比較して一喜一憂しない」という事、でしょうか。
「自分にはないもの」より、「自分にしかないもの」に意識を向けたいところです。

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