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【名言なしの気づき④】年の瀬が近づき「ただ振り返る」だけの記事(感想文)

シリーズ化といっても差し支えないくらいに続いている「振り返る」記事です。

私はなるべく「偏らない」ように意識する癖があります。

そうはいっても、前回申し上げた通り、多少なりとも「独自性」はありますので、その主観から完全に抜け出せる訳でもありません。

また、「偏らないように」と「意識し過ぎる」と、結局「偏らない事」に執着している事になります。

二者択一に陥らないようにと「三つ目」を探したは良いが、それに固執してしまうとただの「第三勢力」でしかありません。

キノコタケノコそれから〇〇みたいなものですかね。
この話題は「争いに発展しかねない」デリケートなものらしいので、ここでは詳細を差し控えさせていただきます。

とは言え、「どれかに偏って生きる事」それ自体を断罪する立場を取る、というのもやはり「偏っている」となります。

個人レベルではなく社会レベルでみた場合、「Aの立場」と相反するような「Bの立場」が拮抗しているのであれば、それは「バランスをとっている」という見方もできるのではないでしょうか?

「執着しない」それは「のめり込む」訳でもなく「拒絶し排斥する」訳でもない在り方なのではと思うのです。

それは「どっちつかず」「優柔不断」「つまらない」という印象を与えるかとは思います。

ただ、それぞれに「良さ」があり、それを認め合えたらいいなとは思うのです。
そういう願望を持つ事自体が「執着」であり「偏り」だと言われれば、その通りだと思います。

いずれにしても「偏り」のモニタリング、何かしら偏った考え方をしてないか内観する、そういう事について今後もなるべく意識していきたい、と思う次第です。

ありのままを観る事、あきらかに観るという事について、私なりに振り返ってみました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。 少しでもいい記事が書けるよう精進致します。 ※誤字・脱字等ございましたら、お手数ですがコメントにておしらせ頂けると幸いです。