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【一日一言】わかった気になる私です。だからこそ…。(草稿)

●はじめに

「身をつめば人の痛さの知らるれど 浅き深きは知るよしもなし」

『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎 より。

同書籍「一月十二日」に書いてある一節から引用しました。
新渡戸稲造氏の言葉につきましては、以前にも取り上げさせていただきました。

読みやすいので、つい本を開いていますが、そこから思うところ、振り返ることがたくさんあります。

●結局わからない。だから…

「わかった気になってる」
というのはよくある事で、結局人様の事は完全には理解共感などできない、という現実に打ちひしがれるばかりです。

そのせいか、人への思い遣りや共感を諦めてしまい「自分の思うままに生きればよい」と、自己本位な考えにいきがちな私ではありますが、今は少しだけ違います。

「わかったつもりでも、実の所分かってない。すれ違いや勘違いはしょっちゅう。」

でも、だからこそ、その齟齬のすり合わせが必須で、そこに交流が生じるわけです。

●「一生モノ」の課題

何事も「完全に理解」というのは不可能で、でもそこにゴールがないからいつまでもどこまでも目指していける。
ポジティブに捉えようとするなら、「それに飽きる」ということなく、取り組める課題ともいえます。

また、自分自身のことも完全に理解できると言うには程遠く、自己覚知、自己研鑽も、一生かけても終わらない課題であります。

以下の記事は、分からなくなったら「こうする」とか「こう考えてみる」という事について書いてます(草稿なのでおいおい手直しする予定)。

●最後に

「成し遂げられない」という現実に、ややもすれば落胆しがちになってしまう私ですが、「成し遂げようとする過程」や「成し遂げようと意図する事」そのものに意義がある、と思う所です。

確かに結果が問われる場面はよくあるのですが、だからと言って何においても「やってもムダ」だから「やらない」というものではないかなと。

功利とは別の次元での行動原理があってもいいし、それを目標に据える生き方もアリかなって思います。

「参加することに意義がある」
これはオリンピックでしたっけ?
自分の限界に挑戦するという意味合いで、「同じことかも」って思う次第です。

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