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【思いつきnote】関係で成立する「私」(memo書き)

●はじめに

また何かしらを思いついたのでここにシェアしておこうと思います。
とはいえ、人様にお見せするようなものでもないような気もしております。

●物理学で

そもそも、すべてのものは「関係」で成り立つというような話は、既に誰かしらによって提唱されているものでございますので、私はそれを見知っただけに過ぎません。

例えばこちらの方による、この書籍。

かの天才理論物理学者、カルロ・ロヴェッリの有名な書籍です。
私などは詳しい内容などよくわからないまま読み進めた次第ですが、その内容は哲学的というか、仏教的というか、数式とはまた違った難解さがありました(文中に出てくる数式もよくわからないですが)。

読んでみて思った「感想」は、「すべては関係で成り立つんだなー」くらいのものです。

それを数式や物理の理論、天才の論理的思考にて解説していらっしゃるのですが、正直細かいことはわかりませんし、ましてや要約などできるはずもございません。

既に読了された方もいらっしゃるかもしれませんが、もしも、かみ砕いて解説していただけたのなら助かると思う次第です。

彼らが提唱する「ループ量子重力理論」はまだ仮説段階らしく、それが「科学的に」証明されたと断言できるわけではないようです。
ただ、ロヴェッリ氏は自身の説に自信を持っているみたいですね。

●仏教で

かの偉人、ゴータマ・シッダールタ氏は伝承(ダンマパダなどの仏典等)によると「因と縁が結びついて果となる」といったことを弟子に説いたそうです。

いわゆる「因果律」の正確な位置づけや解説は専門の学者さんや高僧が千年単位で論じていらっしゃいます。

それらをいくつか読んだり聞いたりして、「なんとなく」因果について認識してはおりますが、凡夫である私のそれは(一言でムリヤリ述べるとすると)「すべては関係で生じる」くらいのものです。

ちなみに「どの因と縁が結びついてこの果となったのか」、つまり「何が原因でこういう結果になったのか」を考えてはいけないという話まであります。
それよりも「いまできること、やること」について考えた方がいいそうです。

私はどちらに意識を向けたらいいのかと考えたならば、後者に集中した方が良いのかなと思ってはおります。

ただ、「原因と結果」について考察し検証するのが「科学」というものだと思いますので、それを全否定することは私にはできません。
なぜなら、今もパソコンやスマホを使って生活しているからです。

●「私」について私の考察(というか思いつき)

私はここでは「根無し草の根」という名前(というラベル)を使っております。
それは記事を投稿される方がたくさんいて、こんな記事を書く輩が「根無しなんたら」であると特定させるためです。

こんなこと本当は考えるのも恐ろしいのですが、もし、仮に、全世界で「人類」とラベリングされた存在が私だけになってしまったら、「私」は「根無し」とか「某氏なにがし」と名乗る必要性は皆無です。

そうなったら、「私」は「ヒト」とでもラベリングしたらいいかと存じます。

では、「全生物」が「私」だけになったら。
その時点で「私」の生は終焉を迎えます。
ですが、もしそうなったら「私」は「生物」と自称することになるでしょう。

それは私に限らず「すべて」が同様の事なんだと思うのです。

この社会で生活されている人々は、おうちで「お父さんもしくはお母さん」と呼ばれていたり「娘もしくは息子」として名前を呼ばれていたり、仕事場では「社長」もしくは「先生」とか「〇長」と呼ばれているのかもしれません。

店で買い物したり食事をすれば「お客様」でしょうか。

「私」というのは関係次第で変わるんだなぁと思う次第です。

なにはともあれ、「皆様がいてくれて良かった」ということですね。

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