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【一日一言】「異説を容れよ」~聞く姿勢について~(草稿)

●はじめに

一月二十三日 「異説を容れよ」

議論することや信ずることが自分とは正反対であっても、誠に真理を求める者は皆兄弟であり、皆同志であり、その者たちは必ず同じ夢を見るときがあるであろう。
だが、私情が混じると議論が感情的になり、良いことが悪くなり、悪いことが良いことになる場合もある。

識見は 持たねば人の 云はぬもの 気に入らずとも まづは聞け

PHP研究所 『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎

「ひとまずは聞け」と、新渡戸先生は現代の我々にも説いていらっしゃるように思えます。

●人の話を聞くということ

人の話を聞くことは簡単なことでしょうか?
「音」として聞いてはいるかもしれませんが、その意図するところをくみ取っているのかと言われると私はいささか自信がありません。

だからこそ、「耳だけでなく心も傾けて聞く」姿勢を常に意識するのです。
話している方は「音」だけで話しているのではなく、表情だとか、その方の発する空気なども含めて「気持ち」を伝えているものだと考えております。

さらに、話を聞く側である私自身「思い込み」というフィルターを通してそれを聞いているので、うっかりすると話者の意図を思い切り捻じ曲げてしまっている場合もございます。

こうなると、お互いの意思疎通は非常に困難なものとなり、それによる失敗も数えきれないほどです。

●二重のフィルター

当然、会話においては私だけがずっと聞いているわけでもありません。
私も話者なのです。
そうなると、私の話を聞く方も「フィルター」を通しているのですから、私の意図は正確に伝わらない可能性があります。

私の話を聞く方にとって「わかりやすい話し方」をするように気を付ける必要がございます。

なるべく誤解のないように、何度も話し合うことが大事かなと思います。

●気持ちは同じ、意見は正反対

実際のところは、お互いの望むところや価値観は同じ方向であるにもかかわらず、その道筋は正反対という事もあるでしょう。

そもそもスタート時点から途中経過まで異なるので、それぞれの歩き方は違って当然かと存じます。

たとえば、ゴールを目指すにあたり、そこに「到達すること」が重要なのでしょうか?
それとも「到達する過程」こそが重要なのでしょうか?

どちらにも言い分はあると思います。
だからこそ「ひとまずは聞け」ということなのでしょうね。

●直接話すならまだしも…

対面での直接のやりとりならまだしも、テキストのみでコミュニケーションを図るとなると更に困難をきわめ、それを解消するために「行間を埋める」必要が生じます。

それを埋める私が、相手のイメージするとおりであれば問題がないのかもしれませんが、自分勝手におかしな埋め方をすると「本来なかったもの」が出来上がる可能性もございます。

お互いの間にある「溝」を埋めようとして、「思い込みという土砂」を積み上げ過ぎて「土の壁」を築いてしまおうものなら、お互いの意思疎通すらままなりませんね。

SNSでコミュニケーションをとる際に、相手の意図をくみ取る方法はいくつか考えられるかと存じます。
まずは思い込みを引っ込めて「受け取る」ようにしたいと常々心がけております。

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