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「理不尽に耐えることで、精神力が鍛えられる」~アンチいじめ・体罰・パワハラ宣言〔クリシェ【凡百の陳腐句】27-1〕
※過激な表現注意。
「理不尽に耐えることで、精神力が鍛えられる」。
この言葉を錦の御旗に掲げて、いじめ、体罰、パワハラを平然と行う者がいる。
ひ◯◯きじゃないが、「なんかそういうデータ」でもあるのだろうか。
俺は、こういう輩を心の底から軽蔑する。
「お前のような"無能"に、精神鍛錬を依頼するわけないんだがなぁ」。
そもそも、いじめ、体罰、パワハラをしている時点で、「人を動かす努力」
「マジックブルーム幻想」×「掃除をすれば自信がつく」 〔コイネージ【造語の試み】18-2×クリシェ【凡百の陳腐句】26〕
片付け系ブログやビジネス書を読むと、時折
「①掃除をすれば→②自信がつく」
といったロジックに出くわすことがある。
「部屋がスッキリし」、「爽快な気分になり」、「タスクが効率的になる」なら、「掃除というアクション」に対する妥当な効用といえるだろう。
しかし、「自信がつく」までいくとなると飛躍しすぎである。確かに、中にはそういう人もいるかもしれない。しかし、およそ多くの人にあてはまる一般的な
「言葉は『何を言ったか』より『誰が言ったか』の方が大事」〔クリシェ【凡百の陳腐句25-1〕
「言葉は『何を言ったか』より『誰が言ったか』の方が大事」
とはよく言われるが、間違いではない。
例えば、
「牛乳を飲むと睡眠の質が良くなる」
の言葉を、ただの健康オタクが言うのと、医者や管理栄養士が言うのとでは、信用の度合いが違うのは否めない。
だからこそ、注意せねばならない。
「誰が」と「何を」は、別物だということを。
例えば、
「私の職業は"人間"です」。
この言葉を"僕"が
「自分で考えろ」第一形態:忖度クイズ~マスク編〔クリシェ【凡百の陳腐句】19-3〕
「自分(の頭)で考えろ」=「私を忖度しろ」。
その人の頭の中に「(自称)正しい答えの枠組み」があって、「そこを外さぬように考えろ」という、「その人が頭の中で考えていることを当てるゲーム」。
「自分は正しい」と思い込む人間が、他人に「自分で考えろ」と宣ったとき、大抵はこの「忖度クイズ」である。
この一例としてあげられるのが、2023年2月頃までそこそこ見かけた、
「マスクをつけない私、ジブン
「"社長"になりたいんだろ?」〔クリシェ【凡百の陳腐句】24〕
人は、自分の意に沿わない言動をした者を"矯正"しようとするとき、その者の「将来」を"利用"することある。
例えば、将来起業をしようと思っている大学生が、バイト先の"性根のよくない"先輩に、そのことをうっかり喋ったとする。
後日、その大学生が仕事でミスをした。あるいは、その先輩の"好みでない"やり方で仕事をしていた。
そのようなとき、そのような先輩は往々にして
「お前"社長"になりたいんだろ
「マジックブック幻想」×「学ぶのが楽しい」〔コイネージ【新造語の試み】1-4×クリシェ【凡百の陳腐句】6-2〕
「本を読む。それだけで『自分は変われる』と錯覚すること」。
これを意味する、
「マジックブック幻想」という言葉を新たに造り、そう呼んでみる。
RPGゲームに度々登場する、読んだ(使った)だけでスキル取得やレベルアップが果たせるアイテムである「魔法の書」。これを現実世界で求めるイメージだ。
そして、その「自分は変われる」には、「自分の価値観・世界観のレベルアップ」も含まれる。
つまり、「本
「高齢者は集団自決すべき」〔クリシェ【凡百の陳腐句】23〕
まれではあるが、「高齢者の生命・人権は蔑ろにしてもかまわない」趣旨の発言をする者は、昔からちょくちょくいた。決して真新しいものではない。
僕が受験時代通っていた某予備校の某講師が、雑談で同趣旨の話しをしたのを今でも覚えている(皆ドン引きしていたけど)。10年以上前の話だ。
他にも、某社会派の漫画家が著作で同様のことを述べていた。
そして、洗脳耐性のない一定数の人間(特に若者)は、こんなもので
「冗談のつもり」〔クリシェ【凡百の陳腐句】22-1〕
昨今(2023年1〜3月)世間を騒がせている、飲食店・公共施設での迷惑動画がSNSで拡散された事件。
かかる"顛末"を認知していてなお、「『冗談のつもり』が言い訳になる」と思う人は、残念である。
彼ら彼女らも「冗談のつもり」と直接口にしていないものの、"趣旨はそれ"だからだ。
もちろん、彼ら彼女らにユーモアのセンスは皆無である。
現に、「(迷惑行為を)やっている側のノリが、売れない芸人、面白
「自分で考えろ」第一形態:忖度クイズ〔クリシェ【凡百の陳腐句】19-2〕
第一形態「忖度クイズ」(続)
「自分で考えろ」とは、「"私が何を正しいと考えるか"を自分で考えろ」。
つまり、「"私の正解"を忖度して当てろ」という「忖度クイズ」である。
これを言う者の頭の中に「正解の枠組み」があって、それに向かうよう、外れぬよう「考えろ」ということだ。
筆者は昔、
「俺の目から見て、お前のやり方は間違っている。何が間違ってるか自分で考えろ」
と、"なんとも思ってない
「うちの子は駄目だね」〔クリシェ【凡百の陳腐句】21〕
某メンタリストが、とある学校に講演をしに行ったときのこと。
その学校の教頭が、彼に
「うちの子たちは、馬鹿だから駄目ですよ」
と口走ったという。
この一言に彼は激怒し、その教頭のプライドを全粉砕する勢いで完全否定したそうだ。
僕は彼のファンでも信者でもないが、この件に関しては、完全に彼に同意。
彼がどういうロジックで論破したのかは知らないが、僕でも、
「お前、プロの教師だろ?
その
「話聞いているじゃない!」〔クリシェ【凡百の陳腐句】20〕
他人に
「話を聞いていない」
あるいは
「聞くのが下手だ」
と指摘され、憤りながら
「え!?聞いてるじゃない!」
と反応してしまったとする。
筆者も"したことのある人の一人"だ。
ゆえに、自戒の意を込めて述べる。
このセリフが口から出た時点で
「話を聴くのが下手な人」
"確定"である。
まず、そもそも「話を聞いてくれた」か否かを決めるのは、「話した側」の主観的な判断。
その
「自分で考えろ」第一形態:忖度クイズ〔クリシェ【凡百の陳腐句】19-1〕
人が他人に「自分(の頭)で考えろ」と(半ば尊大に)求めるとき、その心理形態としては大きく三パターン考えられる。
その中で、最も多いと思われるのが「忖度クイズ」パターン。
つまり、
「私の"正しい"価値基準と矛盾しないように、考えろ」
「私の"正しい"答えに向けて、考えろ」
「私がなにを"正しい"と思っているか、考えて当てろ」
ということだ。
なお、「最も多い」と書いたのは、相手より立
「うーん…」〔クリシェ【凡百の陳腐句】18〕
「お前、絶対考える気ねぇだろ」三言集、その弐。
お笑いコンビ「おぎやはぎ」がネタの打ち合わせをしていたとき、小木の方がひたすら「うーん、うーん…」と唸っていただけということがあった。
それを見て矢作は「こいつ、絶対考えてねえな」と見抜いた。
後日、矢作はお笑い番組にて、このエピソードを怒り混じりにトークのネタにし、笑いをとった。
このケースでは、エピソード自体がコンテンツとなり、笑いをとれ
「自分の頭で考えよう」〔クリシェ【凡百の陳腐句】10-2〕
「自分の頭で考える」ことの大事さを吹聴するのはいいんだけどね。
その前に"つまらんカッコがき"なんかついてないよね。
まさか、「(私の基準に「合格」するように)自分の頭で考えよう」
ではないよね。
「"誰かさんの意向に沿うように"自分の頭で考える」。
それは、ひとえに「忖度」というよ。
忖度で済めばまだいい。これが突き進めば「隷従」になるし、究極的には「洗脳」になる。
国民ではなく、