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チキサニ ―巨きなものの夢―

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.0

チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.0

この地上には初めは何も存在しなかった

国造りの神は
天の中心に立っていたチキサニ(ハルニレ)から鍬を作り
それを持って地上へやってきた

その鋤を使い
国造りの神は
森や川や山や海や動物を作った

そして
天上に帰るときに
その鍬を忘れていった

それが根を下ろし
立派なチキサニになった

ある日
そこへ疱瘡の神が通りかかる
彼は
ひと目でチキサニを見初めた

そして
チキサニと疱瘡の神との間に

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.1



(血の味?)
 とっさに舌で口の中を探った。

(いや、血ではない)
 強い金属質の臭いが、舌を刺しているのだ。この金属臭はどこから……目の前のワークステーションのディスプレイが、その出所だと気づく。

 電源を落とさなければと思う前に手が動いた。しかし、遅かった。

 ディスプレイに映し出されていた緻密な3D空間が、画面の中心に向かって、ブラックホールに吸い込まれるように収斂し、それに続い

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.2



 青々と繁った樹間からこぼれる陽光が、へリンボーンに組まれたレンガ舗装の上で軽やかに踊り、それにリズムを合わせるかのように、雲雀の声が降り落ちてくる。

 一ヶ月あまりも都心のオフィスに籠もって、ほとんど外に出ていなかったので、季節が進んでいたことにも気づかなかった。初夏の柔らかい日差しが、本来なら気持ちよく感じるのだろうが、真夏の太陽のように眩しく、皮膚を刺すように感じられる。

 丘の斜

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.3



 それは、199*.3.19の日付からはじまる、日記形式の記録だった。

 シンのつぶやきのような、ぎこちないナレーションとともに、webから取り込んだらしい写真と、シンが自分で映したと思われるデジタルイメージがスライドショーにされていた。

『今日、東京に桜の開花宣言が出された。一昨日、千鳥が淵のあたりを通ったときには、まだ固く結んでいたつぼみが、今日見るとほとんどがゆるんで、五分は開きか

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.4



「主人公が旅立ち、困難に遭遇して、何度か挫折しそうになるけど、そこから仲間の助けがあったり、超自然的な経験を通して復活して、最後にはめでたく帰還。大なり小なり、物語はそんな予定調和の中で巡っていく。
 それはなにも物語だけではなくて、実際の人生も同じような構造になっているわけだろ。だから、人は安心して物語を楽しめるともいえる。ポイントはディテールなんだよ」

 シンが開発した新型格闘技ゲーム

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.5



 シンの人生に真澄が登場するまでの彼の日記は、内省のような内容ばかりだった。そのトーンも淡々としていて、いつも何かしら考えるテーマを持っていて、それを考え続けている彼らしいと思えた。

 彼は、あまり人と交わらず、仕事でも、ただ黙々と自分のオフィスに籠もってモニターと向き合っていることが多かった。ミーティングでも余計なことは話さず、人の話をメモを取りながら聞いていて、肝心なところで誰も考えが

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.6



 たった一人の肉親だった祖母が亡くなると、とたんに庭が荒れはじめた。

 僧坊の庭園のように、端整に刈り込まれた植え込みと、ゴミ一つなく箒の筋目がつけられていた庭。あの庭は、祖母の死からひと月とたたないうちに、中央にあったバラとスモモの間にアワダチ草が割り込み、柿と梅の老木の間の細道は雑草に埋め尽くされてしまった。

 そして、さらに数ヶ月のうちに、庭の周囲を縁取っていた皐月の鉢は泥に汚れ、

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.7



 シンが残したディスクは膨大だった。

 キャビネットの一つの引き出しに詰まったディスクを見終えるのに1週間はゆうにかかった。

 はじめは、シンが多忙な仕事をこなしながら、いったいどうやってこれほど膨大な記録を残せたのかが不思議だった。しかし、内容を追っていくうちに、こうした積み重ねこそが、彼の斬新なアイデアや緻密なゲーム構成の源泉だったのだと理解した。

 当然だが、記録の中には、ゲーム

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.8



 いつのまにか、夏が本番を迎えていた。

 雑居ビルに挟まれた中野のぼくのアパートは、エアコンの室外機と、通りをうめる車からはき出される熱で、るつぼのようにうだっていた。

 仕事から戻り、冷房をフルパワーにしても、芯まで熱くなったコンクリートからは、濃い液体のような暑熱がいつまでも染みだし続ける。

 その暑さのせいか、よく夢を見るようになった。

 四畳半二間に小さな流しがついただけの古

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.9



 岬をまわりこんだとたん、風の方向が定まらなくなった。

 正面から吹きつける風に抵抗して体を前にあずけていると、今度は背中をどやしつけられて前のめりになる。体を右に傾けて右にまわった風に抵抗すれば、左から叩かれる。

 嵐の海で翻弄される難破船のように激しく風雨にもてあそばれていた。

 こうなると、真っ直ぐ走るのが至難の技で、センターラインを大きくまたいで蛇行を繰り返す。この北の果ての道

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.10

10

 そのディスクは、関連装置と一緒に、あの雑然としたシンの書斎で見つけた。

 いや、みつけたというよりは、もたらされたと言ったほうが正しいかもしれない。

 真澄が教えてくれたキャビネットにあったディスクを調べ上げるのに、丸々二カ月かかった。ぼくは、その二ヶ月間、会社でもアパートでもほとんどの時間をシンのディスクを調べることに費やした。

 だが、結局、キャビネットにはぼくの求めるものはな

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.11

11

 フェリーの中ですっかり意気投合した三輪さんとぼくは、北海道に上陸すると、長万部のキャンプ場に並べてテントを張った。

 駅前で三輪さんが茹でたての毛ガニを買い、それをつまみにして酒を酌み交わす。

 ぼくが毛ガニの殻をむくのに手こずっていると、
「内地の人は、こういうの下手なんだよな」
 と、笑って言って、器用に殻を剥がすと、きれいに身を取り出して、たちまち大きなコッヘルに山盛りにした。

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.12

12

「ぼくは、ここで別れることにしますよ」
 翌朝、出発の準備をしているときに、ぼくは話しをきりだした。

 そろそろ一人旅に戻る潮時だと思った。

 これ以上彼と同道していては、自分がこの旅に出た目的が希薄になってしまう。

「三輪さんも、実家に帰ると決められたわけだし……」

 ぼくが言うと、彼はさびしそうな目をしてこちらを見た。そして、遠く地平線の彼方に目をやりながら言った。

「きみを

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.13

13

 眼前にあった光景が、一瞬にして消えた。

 汗ばんだ肌を撫でる涼しい風や、緑の香りも、葉擦れの音も、鳥の囀りも……何もかも消え失せていた。

 三輪さんの姿も無くなっていた。

 すべてに代わって、まるでいきなり真空の中に放り込まれたように、虚しい闇が広がっていた。

 ぼくは、最初、自分が脳溢血の発作にでも襲われたのかと思った。

 だが、意識ははっきりしていたし、苦しさや痛みも感じら

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