チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.4

「主人公が旅立ち、困難に遭遇して、何度か挫折しそうになるけど、そこから仲間の助けがあったり、超自然的な経験を通して復活して、最後にはめでたく帰還。大なり小なり、物語はそんな予定調和の中で巡っていく。
 それはなにも物語だけではなくて、実際の人生も同じような構造になっているわけだろ。だから、人は安心して物語を楽しめるともいえる。ポイントはディテールなんだよ」

 シンが開発した新型格闘技ゲームのお披露目イベントが引けた後、ぼくたちは馴染みのバーのカウンターに並んで、ウイスキーのグラスを手にしていた。

 そのときのぼくは、抱えているRPGのシナリオに行き詰まっていた。ボソボソと愚痴めいたことを言っていたぼくに、彼は明るく言って、言葉を続けた。

「すべて物事は、旅立ち、困難に遭い、そして帰還するというシンプルなプロットに従っているんだよ。それは、誰も避けられない宇宙の原理みたいなものさ」

「宇宙の原理?」

「人生だってそうじゃないか。母親から生まれて人生という旅が始まり、成長しながらいろんな困難に出くわして、そして死によって出発点にもどる。その図式からは誰も逃れられやしない。だけど……」

「だけど?」

「ディテールに目を移してごらんよ。そこには、いろんな世界が広がっている。人は常に『何か』という宝を求め続けるわけだけど、それもじつに多様だ。ある人にとってはお金かもしれないし、ある人には理想の女かもしれない、そして究極の真理や愛という宝を求める人生もある。君の人生とぼくの人生は、生まれて死ぬという大枠のプロットは同じだけれど、ディテールはまったく違うだろ」

「そりゃ、人生のディテールは、生きた自分が主人公なんだから、些末なもんじゃない。だけど、ゲームのディテールなんて所詮作りものなんだからたかが知れてるさ」

「そもそも、ディテール自体は些末なものだよ。人生だって何気ない物事が積み重なって大きな現実ができるんじゃないか。朝食に卵焼きを食べたかどうか、今朝のシャケは生焼けだったとか、ディテールは、そんなもんさ。そんなものの積み重ねが人生だといえる。そんな些末なものが積み重なって、意味のある人生を形作っていくんじゃないのか? ゲームの一場面でも、人生の一場面でも、ディテールの重みには変わりないと思うな、僕は。宇宙の原理は僕たちには変えられない。とすれば、自分で創造できるディテールをいかに面白くするかということが、仕事とか人生の目的になるんじゃないかな」

 シンは、穏やかに笑いながら言った。

「…………」
 今、具体的に物語をどう進ませたらいいのか途方に暮れていたぼくは、シンの話に現状を打開するヒントがあるようには感じたが、それが具体的な何かに繋がるようにも思えなくて、どう反応すればいいのかわからなかった。

 シンは、長い間かけたゲームタイトルをようやく完成させた開放感のせいか、いつになく饒舌だった。

 グラスを回しながら、中の琥珀の液体の動きをぼんやり眺めていると、シンは少し沈黙した後、また話しはじめた。

「じつは、まったく新しいゲームに取り掛かろうと思うんだ。それは、ストーリーゲームなんだけど、今までのもののように、ただ与えられたシナリオをなぞるんじゃなくて、プレーヤー自身がゲームを進めながら、ディテールを、作り出していくんだ」

 ついさっき新しい作品をリリースしたばかりだというのに、彼にとっては、それはもう過去のことで、心は次の作品に向かっている。いったい、彼のその情熱の源は何なのだろう。そんなことを思いつつ、彼の最後の一言に惹きつけられた。

「プレーヤー自身が、ディテールを作り出す?」

「ああ。今までのストーリーゲームのように、場所も時間も登場人物も台詞もすべて決まっているんじゃなくて、舞台としての大きな流れがあるだけで、ドラマは、その流れの中でプレーヤー自身が作り出していくんだ。画面の中の登場人物にプレーヤーが感情移入するんじゃなくて、プレーヤー自身がゲームの主人公になるんだ」
 そう言うと、シンは、探るような眼差しをぼくに向けた。

「興味ないか?」

『プレーヤーがゲームの主人公になる?』
 彼の言う意味が、にわかには想像できなかった。

 シンは、困惑するぼくに向かって、いたずらっぽく笑いかけると、言葉を続けた。
「こいつは画期的なゲームになるはずだよ。いや、もう、ゲームなんて範疇を超えて、新しい認識、存在の新しい次元を築くはずだ」

「存在の新しい次元……?」

 シンは、さらに困惑するぼくを見て、面白そうに笑う。

 シンがリリースする新作のゲームは、常に、それまでに誰も考えつかなかった手法と内容をひっさげて登場してきた。

 10数年前まで、コンシューマーゲームでもアーケードゲームでも、映像は平面に描かれたアニメーションをコマ送りで動かす2Dの手法がスタンダードだった。当時、3Dを表現するコンピュータグラフィックスはもちろんあり、こちらのほうがアニメーションより精細で動きもリアルにできたが、絵を動かすためには膨大なプログラムと計算が必要で、それを素早いリアクションを要求されるゲームに応用するのは不可能だと言われていた。

 15年前、シンはそんな定説を見事にふきとばし、世界ではじめてコンピュータゲームにリアルタイムで3D映像を描写するコンピュータグラフィックを導入した。それは、ゲーム業界に革命を起こした。

 普通にデザイナーが描き起こした絵では、場面の数やアングルは限られてしまうが、3Dの特性上、カメラ位置やズームアップ、ズームアウトが自由にできる。プレイヤーの入力に応じて、カメラは自在に移動し、表からでも裏からでも、下からも上からも、寄りも引きも自在にできる。精彩な紙芝居に過ぎなかったゲームが、シンの手によって、プレーヤーがインタラクティブにゲームに参加するシステムが生み出された。

 彼がはじめにその技術を使って作ったのはレーシングゲームだった。

 レーシングマシンやサーキットに膨大な数のカメラを据え付け、実際のレースシーンを撮影した映像を背景やオブジェクトそのものにテクスチャで貼りつけ、また、その映像を元に、マッピングをして、見事なサーキットをデータで築きあげた。

 レースカーが、通り過ぎる瞬間、観客や看板、コントロールターワー、そして他のマシンも正面から横、そして反対側と実際にレサーの目に映るそのままに画面が描写されるほか、観客席やオフィシャルのモードにも切り替わって、臨場感を盛り上げる。レーサーとなったプレーヤーがアクセルやブレーキを踏めば、それに連動して画像は動きを変えるのはもちろん、空力や路面の摩擦係数、風向き、タイヤの消耗度といった細かいパラメーターまで、彼はプログラムに組み込んで、その変化を瞬時にコンピュータに計算させて映像化した。

 記録した映像がベースではあるが、そこで展開されている情景は、まさにその場かぎりにしか存在しないものなのだ。それは、現役F1レーサーが購入して練習に明け暮れたという逸話を残すほどのゲームだった。

 また、この技術をアメリカの兵器産業が導入し、偵察衛星などのデータをもとに戦地の詳細な3次元マップを作り、爆撃シミュレーターやミサイル管制に応用した。湾岸戦争では、それを使って戦闘員の訓練を行い、実際の効果をあげた。

 シンは、続いて3Dの格闘技ゲームを作りだした。

 彼は、画面の中にリアルタイムのコンピュータグラフィックで作り出した武道家を登場させ、戦わせた。これは、従来のジョイスティックとスイッチボタンを組み合わせた入力デバイスではなく、プレーヤーはヘッドアップディスプレイと、手足にセンサーをつけてバーチャルなフィールドの中で闘った。

 サッカーボールが六角形と五角形をはりあわせて球にしているように、3Dグラフィックでは、三つの座標軸を結んだポリゴンと呼ばれる三角形を張り合わせたワイヤーフレームを使って立体を作り出す。

 車や地形のようにスクエアな輪郭で、形があまり変化しないものなら、ポリゴン一つの大きさは大きくていいし、数も少なくて済む。ところが、人間の体は細かい曲線で形成されているために、リアルな人間を作りだそうとしたら微細なポリゴンをたくさん使わなければならない。サッカーボールを完全な球に近い形にすることを想像してみるとよくわかる。そのためには、球を形成する六角形と五角形は膨大な数が必要となる。

 一台の車は約5000のポリゴンで構成されるが、一人の人間を作るために必要なポリゴンは少なくとも15万、リアルさを追求すれば50万以上になってしまう。しかも、人間の動きは、じつに細かく変化する。例えば、まばたき一つさせるにしても、200以上のポリゴンの形の変化をコンピュータに計算させなければならない。

 一人の人間が一連のモーションをするだけで、レーシングゲームに置きかえれば、軽く1ゲーム分の計算量になる。それを、彼は、筋肉の緊張や弛緩、流れる汗、相手の攻撃が当たった部分の傷の形成、肌の色の濃淡や、光の向きによる陰翳の微妙な変化までリアルに再現し、動きの激しい格闘技をさせてみせた。手足につけたセンサーを通して、当たりの感触をプレーヤーに感じさせるというおまけまでつけて。

 3次元映像をゲームに導入するのは不可能といわれた時代、彼はそれを完成させ、さらに人の動きをそれで表現するのは至難といわれたものをいとも簡単に表現してみせたのだ。

 膨大なプログラムを組み上げるだけなら誰にでもできる。それに見合ったハードの処理能力さえあれば、いちいちの細かい表情の変化を一つ一つプログラミングしていくことは原理的には可能だ。しかし、どれほどハードが進んだとはいえ、その処理には限界があり、プログラムが大きくなればなるほど、一度にこなさなければならない処理の数は多くなり、それがアウトプットにディレイ(遅れ)として現れてしまう。

 シンの天才たる所以は、独自のアルゴリズムをその都度開発し、最小のプログラムで、複雑な動きを表現したことだ。

 例えば、当たりの感触をプレイヤーに伝達するシステムを組み込んだ格闘技ゲームのプログラムは、およそ3万行のプログラムと、それを巧みにリンクさせる独自のシンプルなアルゴリズムで構成されている。後に、彼のシステムを模倣した同種のゲームでは、同じ効果を生み出すのに、200万行にもおよぶプログラムを必要とした。そのことだけでも、シンの非凡さがただものではないことがわかる。彼は、単なるプログラマではなく、独自のアルゴリズムを創出する数学の天才でもあったからそんなことが可能だった。

 その後、彼は、3D映像にプレーヤーの感覚器へのリアクションを組み合わせた斬新なゲームを発表し続けた。

 さらには、プレイヤーの入力そのものをプログラムにフィードバックさせてプログラムそのものを書き換えていくジェネティックアルゴリズム(遺伝的アルゴリズム)まで完成させて、押しも押されもせぬバーチャルリアリティゲームの第一人者となった。

 彼は、業界のトップに立つスターになったと同時に、巨大化した会社での地位も、その若さからすれば非常に異例な地位にまでのぼりつめた。

 そんな彼が、画期的という内容について、ぼくのようなにわか業界人に見当がつくはずはない。

「これはちょっと見ものだと思うよ。何しろプレーヤーがゲーム空間の中に入りこんで、自分で物語を作りだし、自分で触れ、味わい、感じるんだから」

「新手のバーチャルリアリティか?」

 彼は、もてあそんでいたグラスを置き、真剣な眼差しでぼくをみつめた。そして、毅然と言った。

「バーチャル? そんなものじゃない。これは……」
 一瞬言葉に詰まり、宙を見つめてから、またこちらを向く。

「そう、これは、別種のリアリティといったほうがいい」

 シンは、大手家電メーカーを凌ぐほどに成長したゲーム会社の技術担当副社長。対するぼくは、家庭用端末ゲーム部門の一シナリオ担当者にすぎない。当然、いくら親しいとはいっても、彼が陣頭指揮をとって開発しているゲームの話をすることなどない。

 ところが、この日は違っていた。なにか、啓示でも受けて、それを告げるのが義務ででもあるかのように、熱っぽく新ゲームについて語った。

 このゲームではプレイヤーが動きを入力するスティックやグローブのたぐいはいっさいない。プレイヤーは、密閉されたカプセルのような装置の中に入りヘッドマウントディスプレイを被るだけなのだという。

「そのヘルメットはプレーヤーの大脳にダイレクトリンクするデバイスなんだ」

「大脳にダイレクトリンク?」
 いくらゲームシステムが長足の進歩を遂げたとはいえ、そんなSFじみたことが、本当に可能なのだろうか。

「大脳皮質の表面には、いつも小さなスパークが起きているんだ。たとえれば、太陽表面のフレアのような感じだね。それは、具体的に何かといえば、浮かんでは消える泡のような意識なんだ。
 一つ一つのフレアは、そのまま放っておけばまさに泡のように消えてしまう、ふとした思いつきのたぐいの意識だ。このフレアは、1秒間に何十何百という頻度で起こっている。
 ところが、何かの拍子に大きなフレアが起こったり、小さなフレアが、ある傾向を持って連続して起こり続けたりする。このとき、人間は、ある具体的なイメージをはっきり感じる。それは、啓示のように、強い意味を持っていて、ある場合には、単なる想念としてだけでなく、五感をともなった『本物』の体験として、意識されるんだ。
 たとえば、それを人工的に起こすのは、LSDのようなサイケデリックドラッグや幻覚性のアルカロイドのたぐいなんだ。
 何か、泡のようなイメージが、スパークとして浮かんだとしよう。普通の状態なら、それは、意識にも上らないうちに、自然に消えていってしまう。たまに意識に上るのは、夢とかデジャビュのようなものだ。ところが、LSDで変性意識状態にあったとしよう。どうなると思う?」
 と言って、彼は思わせぶりにぼくのほうを向く。

 唐突にLSDと言われても ぼくには、何も答えられない。

「LSDの薬理作用は、意味のないスパークを勝手にピックアップし、それを増幅して脳にフィードバックするんだ。コンピュータでいえば、CPUにあたる視床下部にまでね。
 脳は、淡いのようなイメージを突然、現実のものとして受け取ってしまう。それによって、最初は意味のないスパークであったものが、それに関連づけられたイメージが連鎖反応を起こして、意識の上に浮上してくる。あとは、もう、意識の洪水に見舞われるというわけだ。わかるかい?」

 ぼくは、自分のドラッグ体験を思い返してみる。それは、たしかに、無意識のイメージを溜め込んでいたダムが突然決壊して、自分が、その激しい流れに押し流された木屑のように思えるような体験だ。

 シンは、ぼくの反応を見て微笑んだ。そして、胸ポケットからペンを取り出し、グラスの載っていたコースターを裏返して、走り書きをはじめた。

「ヘルメットの内側には、こんな風に、ものすごく微細な電気を捕らえるセンサーが400コ以上つけられているんだ」
 そう言って、ヘルメットの内側に小さな突起をいくつも書きこんだ。

「センサー?」

「そう。センサーであり、刺激デバイスでもある。脳が発するスパークをセンサーが拾うと、すぐに刺激を返すんだ。それでフィードバックループが出来上がる。
 この特定の刺激というのが、ストーリーゲームのシナリオとかプログラムだと考えてみてほしい。その刺激に対して、脳は、大脳皮質表面に、比較的はっきりしたスパークとして反応を返してくる。センサーがその反応をキャッチして、コンピュータの中のクラシファイアプログラムの中に送り込む。それを、プログラムはパラメータとして処理して、今度は特定のアウトプットを脳に送り返す。そのキャッチボールを秒間何百回も行うんだ」

 ぼくは、キツネにつままれたような気分のまま頷く。

「ドラッグと違うのはね、ドラッグがあくまでも脳の電気活性を高めるだけの触媒の役目しか果たさないのに対して、このシステムでは、コンピュータは脳のサブシステムとして働くところなんだ。
 ドラッグによって高められた活性は、どこへむかってしまうかわからない。そのときの気分しだいで、グッドトリップにもなればバッドトリップも引き起こす。ところが、このシステムでは、プレイヤーの反応をパラメータとして処理してフィードバックするシステムだから、意図した方向にプレーヤーを誘導できる。
 つまり、脳とコンピュータが、文字通りニューラルネットワークを作るんだ。脳とコンピュータが一体になって物語りを作って行くんだよ」

「つまり、人間とコンピュータをつないで、マルチエンディングのリアルなストーリーゲームを作ろうということか?」

「そうともいえる。だけど、それだけじゃない」

 彼は、腕を組み、眉間に皺を寄せて上目遣いでぼくを見つめる。それは、彼が物分かりの悪い部下に、腹をすえて物事を説明しようと決心したときの彼独特の表情だ。

「いいかい、ふつう、マルチエンディングと言ったら、エンディングパターンが複数あるにしても、最後には、あらかじめ用意されたどれかのエンディングに行き着くということだ。あみだくじみたいなもんだよね。でも、このシステムには、あらかじめ決定されたエンディングなんて何もない。文字どおり、コンピュータとそれに繋がれた人間が、共同作業で夢を織り上げて行くんだ」

 シンの言うことは、理屈ではわかるが、それが具体的にどんなものになるのか、どんな体験になるのかがイメージできない。
「ちょっと待てよ。じゃあ、このゲームの終わりはどこにあるんだ?」

「終わり? それは、原理的にはない」

「終わりがない?」

「そう。今までのスートーリーゲームのように、ゲームクリエイターが用意した定められたエンディングという意味ではね。
 エンディングどころか、途中のストーリーも、コンピュータとそれに繋がれた人間まかせなんだ。プレイヤー自身が参加しているゲームの中で、自分がここまででいいと思ったところがエンディングだ。
 ゲームクリエイターがすることは、プレイヤーが指向するゲームの方向性に向かってストーリーが進行していくように、プログラムがコンピュータからフィードバックする刺激の質を変化させていくんだ」

 ぼくが、さらに困惑して彼を見返すと、彼は天井を見上げて、言葉を探す。

「簡単に整理してみようか。正確にいうとちょっとズレはあるけど、こういうことなんだ。
 まず、ヘルメットの内側の電極が、大脳皮質で起こっているフレアを捕らえる。それを分析することで、プレイヤーの志向性がわかる。
 そして、いくつかのパターンを試しにフィードバックして、いちばん強くフレアが起こったものを、そのときのプレイヤーが求めている刺激であると判断して、そこから、コンピュータは、本格的なフィードバックを開始するんだ。
 あとは、コンピュータとプレイヤーの脳が、リアルタイムでシンフォニーを奏でていく。もちろん、はじめは無数のランダムなフィードバック関係が起きうるから、その中から、ドラマが自己組織化していくようにプログラム的に処理をするんだ」

「つまり、プレーヤーが快感と感じるものをコンピュータが絵にしていくわけか?」

「まあ、単純にいえばね。でも、ただ絵を見せるだけじゃない。この電極からの刺激は脳の知覚領域全体に伝えられるから、音や匂い、触覚、痛感までも実際に体験しているのとまったく同じに感じられるんだ」

 一瞬、とんでもないことを楽しそうに語るマッドサイエンティストの姿とシンがだぶって見えた。シンはぼくのそんな思いもよそに、得意げに話しを続ける。

「ぼくたちは、現実の中で、あらゆるものは自分の外側に独立して存在しているとの確信に基づいて生活している。
 でも、じつは完全に客観的に外在するものなどない。そこに存在するとぼくたちが思っているものは、刺激を感じて脳が生み出しているものでしかないんだ。
 脳に体験させるということは、実際に体験することとまったく同じなんだよ。そして、最初の話題に戻れば、いちばん刺激的な人生のディテールというものを、自由に生きることができるようになるんだ」
 そう言うと、シンは屈託なく笑った。

 彼は、具体的な目標を設定すると、後先のことは考えず邁進していくタイプだ。だからこそ、今までゲーム業界のヒットメーカーとしての地位を保ち続けてきたといえる。

 だが、ぼくには、彼のようにあらゆる物事を楽観的に見ることができない。どうしても、事象に対して表面から見たら、裏返しても見たくなる。

「しかし、そんなゲームが仮に実現可能だとして……いや、おまえがそう言うんだから、それは可能なんだろうけど、そんな洗脳に近いようなゲームでは、プレーヤーが中毒になってしまうんじゃないか?」

「洗脳というのはぜんぜん違うけど、いずれにしても、一回500円か1000円、せいぜい30分のはかない夢だよ」

「だけど、いずれはコンシューマー端末にまで載せるんだろ。そのレベルになったら30分じゃ済むはずがない」

「それなら、今までだって同じだよ。コンシューマー端末が出はじめた頃のバカみたいに単純なゲームにだってはまってしまう人間はいたからね」

 シンの言う新しいゲームが実現したら、実体験とゲームが生み出すシミュレーションの境はどうなってしまうのだろう? シンが自信をこめて言ったように、これは、たしかに、新しい認識、存在の新しい次元を築くだろう。

(だが……)
 ぼくの心にある疑念が湧いた。

「ちょっと待てよ。どんなフィードバックを与えるか、それはプログラムで可変できるわけだろ」

「ああ、プログラム上でもアルゴリズムでも、どんなふうにも方向づけはできるよ」
 シンはこともなげに答えた。

「ということは、快感を刺激していくんじゃなくて、プレーヤーの恐怖感や嫌悪感を増幅していくフィードバックを行なって行くようなプログラムも組めるわけだ」

「もちろん」

「かりにそんなプログラムを組んだとしたら、プレーヤーはとんでもない悪夢を見せられるわけだ。場合によったら、発狂したり、自殺する可能性だってあるんじゃないか?」

「物語の中のちょっとした調味料としては、そんな刺激に指向する部分も出てくるだろうけど、それは、プレーヤーがスリルを楽しめる程度にとどめるさ。ドラッグと違って、過剰反応をしめしたら、そのフィードバック系はいったんフェードアウトさせられるわけだからね。
 いいかい、ぼくらの仕事はあくまでも夢を売ることだからね。プレーヤーがハッピーになるプログラムしか組まない。だいいち、一回したらもう二度とごめんだなんてゲームじゃ商売にならないだろ」

(それなら性格異常や精神的に問題をかかえている人がそのゲームをやったらどういうことになるのか? 人は、そんなに単純な生き物ではない。たとえば、自分を痛めつけることが快感の人もいるし、フェティシズムは、どんな人間にでも少なからずある。自分はあくまでノーマルだと思っている人でも、深層心理にどんなホラーめいた幻想を抱いているかはかり知れない)
 そんな思いが過ぎったが、それは口にしなかった。

「それは、今、どのくらいのレベルまで出来ているんだ?」

「ハードのシステムは完成している。アミューズメント用だけじゃなくて、コンシューマー用もね。それから、クラシファイアプログラム……これは、無数のファクターが、ランダムな組み合わせを形成するうちに、自分で方向性を持って行くようなプログラムだけど、それもほとんどできている。問題なのは、プレイヤーの個性による親和性の問題なんだ」

「個性による親和性?」

「そう。うちのラボの人間を使って試したんだけど、脳自体の活性が初めから高い人間は、すぐにフィードバックシステムが働きだすんだが、その活性が低い人間では、フレアを捕らえて方向性を決定するのが難しい上に、フィードバックシステムが確立されていくまでに時間がかかる」
 そこで、彼にしては珍しく、苦悩するような表情を浮かべた。

「そういうプレイヤーに対しては、興味を持つイメージを提示できたとして、コンピュータとのニューラルネットワークの中で、奇妙な競合が起こって、物語りがつまらない方向に収束していってしまうことも多いんだ。なんとなく見えてきているのは、想像力の問題なんじゃないかという気がしているんだ」

「想像力?」

「ああ。想像力の強い被験者は、普段から大脳フレアが多いんだ。だが、想像力の低い被験者は、普段の大脳フレアが少なくて、その検出がたいへんなんだ。今のところ、活性が低いプレイヤーを取り込むためには、いくつかのありきたりな物語パターンを用意しておかなければいけない状態だ」

「物語パターン?」

「ああ。ストーリーゲームのシナリオのようなものだよ。だけど、これはまた様々な嗜好を持ったプレイヤーがいるわけだから、すべてのプレイヤーに対応するためには、膨大な数の物語が必要なんだ。……そんなことは、原理的に考えられない。でも、必ず、どんなプレイヤーもたちまちこのシステムに取り込む方法があるはずなんだ」

 酒が回ってきたのか、シンの話しに思考がついていけなくなってきたのか、たぶん両方なのだろうが、だんだん意識が朦朧としてきた。シンも、話しているうちに酒と自分の話に酔ったようで、話はプログラムに関わる専門的な内容に逸れていった。

 シンと面とむかって話し合ったのは、それが最後となった。

 あれから2カ月あまり、ぼくがあいかわらず気乗りのしないルーティンワークで時間を食いつぶしている間に、シンは、あのゲームの完成に向かって邁進していった。

 そして……彼は消えてしまった。

 カプセル型の装置のディスクスロットに、No4と書かれたデータの消えたディスクだけを残して。

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