チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.3

 それは、199*.3.19の日付からはじまる、日記形式の記録だった。

 シンのつぶやきのような、ぎこちないナレーションとともに、webから取り込んだらしい写真と、シンが自分で映したと思われるデジタルイメージがスライドショーにされていた。

『今日、東京に桜の開花宣言が出された。一昨日、千鳥が淵のあたりを通ったときには、まだ固く結んでいたつぼみが、今日見るとほとんどがゆるんで、五分は開きかけている。まるでスライドプロジェクターでガチャリと次の写真に送ったように、季節が変わってしまったようだ。どこかにデジタルカメラをセットして、季節の変化を追ってみよう。案外印象的な映像ができるかもしない。……候補地→千鳥が淵、……富士五湖、上高地、八幡平、大雪、日高……』

5.1
『母の誕生日。ゴルフの会員権を奮発。電話で知らせると、早速今週末でかけるという。あきれるほど元気だ。しかし、今年でもう60、定年ではないか。親父が死んで12年、ということは今年13回忌か。そのとき、一緒に住む話しをまた切り出してみよう』
 これには、ゴルフクラブの会員証書の映像が添付されていた。

 画面をしばらく送ると、見慣れた彼のゲームの一場面をキャプチャリングした映像があった。その画面は二分割されていて、上側にゲームの場面、下側にはアセンブラが並び、その一部がフリーハンドでなぐり書きした円で囲ってあった。

8.3
『ようやくトラブルの張本人のバグをみつけた。まさか、こんななんでもないように見えるサブルーチンが干渉しているとは……これじゃどんなに気の利いたデバッガーを作っても、見つけられそうもない。こんなケースが他になければいいが……』

 プライベートなメモに混じって、これと同様のデバッグのメモが所々に入ってくる。

 シンは、ミーティング中に、突然自分の殻に閉じこもったようになって考え込むことがあった。そうなると、心ここにあらずで、誰の言葉も聞いていない。それは数秒のこともあれば、数十分に及ぶこともあった。シンがこんなふうになると、ミーティングはそこで凍りついてしまう。

 そんな重い沈黙は、開始と同じように、唐突にシンが口を開くことで破られる。考え込んだ後のシンは、どうしようもない袋小路に迷い込んだ難問をブレークスルーする答えを見つけ出していた。

 突然始まる沈黙の間、シンの魂はいったいどこへ行っているのだろうと、ぼくは考えていた。「たまげる」という言葉があるが、それは漢字で書けば「魂消る」で、今、ここにあった魂が突然消えてなくなったような状態を指す。今では、びっくりして魂が抜けたように放心してしまう状態を指すけれど、もともとは、シンのように魂がどこかへ飛んでしまったような状態の人を指す言葉だったのではないだろうか。だとしたら、その魂はいったいどこに行っているのだろうと。

 シンは、家庭にあっても同じように魂消ることがあったんだろうなと想像して、思わず笑ってしまった。

 大きなプロジェクトが終わると、まとまった休暇をとるのがシンのスタイルだった。

 彼がどこへでかけて何をしてくるのか、ぼくも、一緒に仕事をしているスタッフの誰も知らなかった。ただ、その長い休暇から帰ってくると、真っ黒く日焼けした彼が、生まれ変わったように溌刺として仕事に取り組んでいる姿だけが印象に残っている。

 そんな、彼の謎のバカンスの答えもディスクの中にあった。

8.12~9.3
 砂まみれのオートバイ、乾いた赤い砂の荒野に林立する電柱のようなサボテン、キャンピングカーの横で焚火にあたるシンらしき人影、さらに、乾いた大地とは対照的な真っ青な海、その海に浮かべたカヤックの目の前に海面からジャンプしているイルカ。……それにしても、彼がオートバイに乗るなんて知らなかった。

『ティファナで国境を越えると、反対側のサンディエゴでは雰囲気が一変する。ティファナは、全体に黄ばんだように砂が舞う西部劇の街のようなのに、ゲートを越えたら芝生の緑と明るく豪華な建物、整備されたフリーウェイ、それにたくさんの軍艦が停泊する港が待ち受けている……19世紀から21世紀へタイムスリップしたようだ。ティファナへ入るときは、たしかに荒んだ印象を受けたが、逆に戻ると、アメリカ側はすべてが作り物めいて、うそくさい。もっとうそくさい東京へなんか帰らずに、このままUターンして、永久にバハで暮らしたい欲求に駆られる』

 日記となると、さすがにそれを開いて見ることに後ろめたさがあったが、いったん見はじめると、引き込まれていくことを自制できなかった。「この中にも、何か手がかりがあるはずだ」、そんな言い訳を心の中でつぶやきながら、ぼくはモニターを凝視し続けた。


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