チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.10
10
そのディスクは、関連装置と一緒に、あの雑然としたシンの書斎で見つけた。
いや、みつけたというよりは、もたらされたと言ったほうが正しいかもしれない。
真澄が教えてくれたキャビネットにあったディスクを調べ上げるのに、丸々二カ月かかった。ぼくは、その二ヶ月間、会社でもアパートでもほとんどの時間をシンのディスクを調べることに費やした。
だが、結局、キャビネットにはぼくの求めるものはなかった。
最後の一枚のディスクを調べ上げ、肝心なものを見出せなかったぼくは、借り出していたディスクを携え、家を訪ねた。
「なにか手がかりは見つかった?」
真澄は、その中にはぼくの求めているものがないことをあらかじめ知ってはいたが、一縷の希望を持っていたかのように言った。
「結局、何の手がかりも見つからなかったよ。あいつが考えていたものは、おぼろげながら見えてはきたんだけどね。きみは、シンから新しいゲームについて、何か聞いたことはなかったか?」
「具体的なことはなにも。前は、仕事のこともいろいろ話してくれて、私も手伝ったりしたんだけど、あの子ができてからは、あの人の仕事を手伝う暇もなくなって……」
と、窓辺で昼寝する女の子を見やって言う。
「そうか……」
思わずため息が漏れた。
「ただ」
「ん?」
「いえ、ただね、この一年、シンは、憑かれたように仕事していたわ。あの人、それまでは、うちでは仕事の仕上げを少しするくらいだったんだけど、この一年は、遅くに会社から戻ると、食事もしないで夜中まで書斎にこもって仕事をしていた。とくに、この2,3ヶ月は、夜が明けるまで書斎に閉じこもっていたわ」
「その仕事については、何か話さなかった?」
真澄は、ぼくの問いに空しく首を振る。
「彼がいなくなる何日か前に、急に、ゲームの完成祝いだって、三人で誕生パーティみたいに祝ったんだけど、そのときは、ただ、今度のは画期的なものになるって、一人ですごくはしゃいでいただけ。でも、画期的というのは、あの人の口癖みたいなものだしね……」
ぼくは、ディスクをキャビネットに戻しに行った。
シンが座っていた椅子に腰を下ろすと、ぼんやり、あたりを眺め回した。
部屋を埋める装置類には、うっすらと埃が積もっていた。ふと思い立ち、散らかった装置類をかき分け、キャビネットや棚のすみずみ、ディスクドライブのスロットの中まで調べてみた。しかし、無駄だった。再び力を落として、シンの椅子に体をあずける。
会社でも、封印されたシンのオフィスに潜り込んだり、シンが最後に入ったあの装置を調べたりしたが、手がかりは何もみつからなかった。
シンの部下たちに探りを入れても、あの実験については一様に口を閉ざすばかりで、バックアップの存在については、心当たりがないようだった。実験については、何か重要なことを隠しているというよりは、忌まわしい事故のことを早く忘れてしまいたいといった風だった。
シンが消えたまさにあの瞬間に間近にいた者は、
「もう、あのときのことは思い出したくない。あの場所には、二度と足を踏み入れたくない」
と、激しくかぶりを振った。
「やっぱり、バックアップは会社のどこかにあるのか……」
だが、もう社内のどこを探せばいいのか、まったく見当がつかない。
「この部屋も、隅から隅まで探してしまったし……」
ぼくは、放心して眼前の窓から外を眺めた。
庭のハルニレが優雅に葉を揺らしていた。
ぼんやりと、風に踊る木を眺めていると、その木が、何かを語りかけているような気がした。シンの娘は、あの木の梢から、シンの結婚指輪が落ちてきたと言った。そして、真澄の話しでは、いつもあの木に向かって、楽しそうに話しかけていると……。
「寒いところの木だから、ここで、ちゃんと根づくかどうか心配なんだけど……。ずっと昔から、家を建てたら、庭の真ん中に大きなハルニレを植えることに決めていたんだ」
シンは、そんなことを言っていた。
よく見ると、この閑静な住宅街に植える木としては、異質な気がした。日差しをたっぷり浴び、風を全身で受けて、自然を謳歌しているように見えるハルニレ。それは、こんな人工的な町並みの一角にあるよりは、広大な草原の真中にあるか、深い森の一角にあるべきものではないのか……。
シンに、聞いてみればよかったと思った。何故、ハルニレをこの庭に植えようと思ったのかと。
シンが消えてから、ぼくはずっと彼のことを探してきた。彼の過去の記録を紐解き、彼の精神の変遷を追ってきた。しかし、もう手詰まりだった。後は、彼の実家でも訪ねるくらいしかない。だが、彼の母親に会ったところで、何も手がかりは得られないだろう。
それにしても、シンは、いったいどんなゲームを開発していたのか。そして、どのようにして、彼は消えてしまったのか。
ディスクに残されたシンの日記によれば、彼は、あのゲーム開発にぼくを引き込もうとしていたのは確実だ。だから、一緒に酒を飲んだあのとき、彼は、ぼくにあんなに詳しく話したのだ……。
(このまま会社に残って、ルーティンワークのようなシナリオ書きの仕事を続けていても意味がないのではないか)
ふと、そう思った。
シンに愚痴を言ったように、もう今の仕事には魅力を感じていなかった。はじめた当初は、ものを書くという仕事の懐かしさに、昔の夢を思い出したが、結局、ものを書く仕事で満足を得ようと思うなら、請け負いではなく、一人で発想して、そのテーマを孤独に追い続けるしかないということがわかっただけだった。
身を落としていた中から拾い上げてくれたのはシンだ。そのシンがいなくなった今となっては、ぼくが、会社にとどまる理由はない。まして、シンがぼくを引き込もうとしていたゲーム開発も露と消えてしまった……。
何より、ぼくは天涯孤独なのだ。やりたくもない仕事に時間を取られるよりは、前のように、その日その日をなんとか暮らしていければいいではないか。
そんなことをつらつらと考えているうちに、夕暮れが迫っていた。
そろそろ引き上げようと、腰を上げたとき、階段のほうで声が聞こえた。
「よいしょ、よいしょ……」
子供の声だ。
踊り場へ出ると、下から一段一段よじ登るようにして雅美が登ってくるところだった。
「雅美ちゃん、一人で階段昇っちゃあぶないぞ」
あわてて駆け寄り、中段まで差し掛かっていたその子を抱き上げようとする。
すると、彼女は、ぼくの手をすりぬけ、危なげなく昇っていった。
彼女は、父親の部屋の前で立ち止まった。そして、こちらを振り向く。
「おじちゃん、パパのお部屋で何してたの?」
彼女は、咎めるような顔をして言う。
なんだか、いたずらを見つけられた子供のように居心地の悪い感じだ。
「パパがね、おじちゃんにお手紙か何か置いてたはずなんだ。それを探してたの」
子供に言い訳する必要はないはずなのに、そんな言葉が口をついて出た。
「ふーん」
彼女は、勝手にその部屋に入ってはいけないと注意されているのだろう。だから、ぼくに咎めるような顔を向けたのだろう。
彼女は、部屋の前で、入りたそうな顔をして、中を覗き見た。そして、許可を求めるような視線を向けた。
「雅美ちゃん、これくらいの、丸いお皿みたいなの知らないかい?」
ぼくは、両手で、DVDのディスクくらいの大きさの円を作って、彼女に聞く。
「あっ、それならマーちゃん知ってるよ。出してあげる」
雅美は、そう言うが早いか、部屋に走りこんでいった。
部屋の中は、まだ電気の通じた装置類がたくさんある。子供が感電でもしたらたいへんだ。ぼくは、彼女を追って、あわてて部屋に駆けこんだ。
だが、部屋の中に、彼女の姿はなかった。
「雅美ちゃん! マーちゃん、どこにいるんだい」
返事がない。
日が傾きかかり、部屋の中は薄暗くなっていた。
電気をつけて辺りを見回す。
ディスクの収まったキャビネットの影にも雅美はいない。
さらに、雑然と散らかった装置類の隙間にも、彼女の姿はなかった。
「雅美ちゃん? マーちゃん、どこだい?」
すると、どこかで声がした。
「よいしょ、よいしょ」
階段を昇るときと同じかけ声だ。
彼女の声は、机の下から聞こえていた。
腰をかがめて潜りこむ。
足元の、絨毯の一部がめくられ、その下に床下収納庫のような隙間があった。彼女は、その中に入って、ジュラルミンのケースを持ち上げようとしていた。
「雅美ちゃん、おじちゃんが取ってあげるよ」
まず、雅美を収納庫の中から抱き上げ、彼女が持ち上げようとしていたケースを取り出した。
「それ、パパの宝もの箱なんだよ」
彼女はケースを指差して、得意げに言った。
「パパのだいじだいじなんだけど、おじちゃんなら、開けてもいいよ」
「おじちゃんが、これを開けていいのかい?」
「うん、おじちゃんなら、いいって」
「いいって?」
「パパが言ってた」
「いつ? いつパパが言ってたの?」
「んーと、んーと……あさって」
この子に、シンのことについてじっくり聞いてみたいと思ったが、それよりもまずこのケースだ。
ぼくは、シンの宝箱というケースを開いた。
そこにはゴーグルが一体になった半球状のヘルメットとディスクドライブ、それにドライブとつながれた小型のアンプのような装置が収められていた。
そして、蓋の裏側のポケットに、四枚のディスクが差し込まれていた。
ディスクには『淫乱の群れ』というタイトルとともに、No1~No4の通し番号が書かれたディスクが収められていた。
(四枚のディスク……ナンバー4)
「淫乱の群れ……?」
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