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トラウマになっていた父親のことを、息子が「お父さん」と言えるようになった話

発達障がい当事者ご家族と幸せに関わるお手伝い♪
発達障がい家族専門カウンセラー、たおたおです。

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夫から離れるために息子と二人で家出をして、1ヶ月ぶりに家に帰れたのが去年の5月。

「私さえ我慢すれば...」
私は、どんな事でも無意識にそう考えていたと思います。

「我慢」と気づいてもいなかったのです。

この私の思考は、実家の母の影響が大きいと、後で理解できました。


自分の考えはあっても出せなかった、次第に考えなくなっていった…

結婚して35年、私はなんでも夫の言う通りにしてきました。

「私は良い妻なんだ!」
夫に合わせることで、そう勘違いしていたのです。

今さらながら気がつきました↓
夫に言われた通りにすること、喜んでもらうことに、自分の存在価値があると思いこんでいたことに。

逆に夫の思ったようにできなければ、自分は価値のない人と感じていたように思います。

...私は間違っていました。

私の存在価値は、そういうものではないはずです!

その後

発達障がいの息子の変化をきっかけに、私の考えは大きく変わりました。

双極性障害Ⅰ型(「躁鬱病」と呼ぶ人もいます)と後で診断された夫。
原因は中国での激務なのか、姑の死なのか、他にあるのか、それはわかりません。

「感情の浮き沈みが激しい」という言葉では軽すぎるほど、躁の時期は想像を絶する激しさでした。

夫の暴言や奇行を重ねる日々が1ヶ月以上経ったある日から、息子の顔が頻繁にピクピク動くようになりました。

常に腹痛や頭痛を訴えてくるようになりました。

息子は、夫の前では無理して異様に明るく振る舞っていましたが、そのうち夫の足音や声が聞こえても震えるようになっていました。(暴力はなく精神的抑圧で)

「息子を夫から離さなければ!」

夫の目を盗んで、夜中に息子とドキドキしながら家出を決行しました。

行き当たりばったりの家出でしたが、その後、息子が通うクリニックの医師、市役所の福祉課の方、夫が当時勤務していた会社の方々、産業医等、たくさんの方からの応援がありました。

みなさんのご協力のお陰で、夫を入院させることができました。

退院から約1年経った現在は、夫はスッカリ穏やかな人に変わっています。

服薬は続けており、今はやや「鬱」気味ですが、かなり落ち着いています。再就職先で仕事を始めるほどになりました。

夫の病気(双極性障害Ⅰ型)をきっかけに夫婦の在り方を考えるいい機会になったと言うには、息子の犠牲があまりにも大きかったと感じています。

息子は長い間夫の悪夢を見たり、躁の頃に受けた暴言を思い出しては苦しがっていました。

「お父さん」というワードを出すだけで具合が悪くなる息子は、父親のことをパパの頭文字の「P」(ピー)と言っています。

息子:「Pには感謝しないといけないと思っていたけど、もう無理…」
私:「無理しなくていいんやで!」

息子の心がまだ完全に癒えていないので、夫とは別居しています。

夫の立場に立つとツラくなったりしますが、今は息子を守ることを一番に考えています。

夫が素直に別居に同意してくれたのは、息子と私への愛だと思っています。

「今日はお父さんのところへ行くんやろ?気をつけてね^^」

息子が「お父さん」と自然に言いました♪

これは我が家にとっては大きなことなのです。

家族にはそれぞれの形があると思います。

よそと比べる必要はなく、今、自分たちの中のベストは何かを考えていけばいいと思っています。

※いよいよ来週となりました!


7月5日(金)21:00~、「特別限定カウンセリング」3名様のみ募集します。

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