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退職後に偶然元利用者とその保護者に再会した日

その日、私はたまたま用事があって出掛けた。

その用事があった場所の近くにはお店があり
そちらの方面に来たついでに私はそこに寄り道した。

 
欲しい物を探したが、見つからず
私はそこで何も買わずに帰ろうとしていた時だ。

私は前方から歩いてきた人の目元が
前職の担当利用者の保護者に似ていると思い
立ち止まった。

その方も私の方を見た。

 
お互いに数秒無言で見つめ合い
どちらが先に言葉を発するかというところで

「…ともかさん!」

と、その方は口にした。

 
「Aさん…!!」

 
私達は一瞬、お互いにマスクを外した。
確かに、Aさんだった。

 
Aさんは親子で買い物していた。

「ほら、ともかさんよ!」

Aさんの子ども…私が前職で担当利用者だったBさんも私の方に近寄り、マスクを一瞬外した。

 
確かに、Bさんに間違いなかった。

 
 
私がBさんと出会ったのは13年前で
私がBさんを担当していたのは10年以上で
最後に会ったのは
私の最終勤務日だったので
今から1年と数ヶ月前になる。

 
そのお店はお互いの自宅からも前職の職場からも離れた場所だったので
再会したのは本当に偶然としか言いようがなかった。

私達は胸を弾ませて
会えない期間の話をした。

 
Aさんの話によると
保護者が施設に最後に集まったのは私の最終勤務日だという。
最終勤務日、保護者の方は次々に私に別れを伝えに来たり、連絡をくれたのだが
Aさん含め保護者の方は複数名で会いに来てくださり
保護者会として花束や謝礼金をくださっただけでなく
保護者会有志としても更に別枠で花束や図書カードをくださった。

私が花や読書が好きだと知っていたからだ。

保護者有志の方とは最後に全員とハグし
握手し
ツーショット写真だけでなく
集合写真も求められ
私は福祉職員だかアイドルだか分からないありがたい扱いを受けた。

それがAさんとの最後だった。

 
退職日にAさんは連絡をくれたが
その時のやり取り以降
私はAさんと関わっていなかった。

もちろん、Bさんともだ。

 
「ともかさんが退職してからコロナがいよいよ深刻化して、保護者会総会はなくなり、保護者参加型のイベントは全て中止になった。

だから私も、あの日以来施設には行っていないし、他の保護者の方とも会っていないの。」

 
私は驚いた。

退職して私は利用者や保護者に会えなくなったけれど
保護者は保護者で家族が施設利用をしていても会えない日々を過ごしていたとは。

 
…だが確かに
私に何人かの保護者が退職後も連絡をくれたが似たようなことを言っていたことを思い出した。

 
会いたい人と会えないのは
私だけに限った話ではなかった。

 
私はバカだ。
自分のことしか考えていなかった。

 
「目元を見て、すぐにともかさんだって分かったわ。もし間違っていたとしても話しかけようって思ったの。」 

 
「今でも、施設や家でともかさんの話題にはしょっちゅうなるわ。
ともかさんが退職したり、コロナ禍になって施設が色々変わった時、“もしここにともかさんがいたら…”って何度思ったか分からない。」

 
「ともかさんの代わりはいないわ。私達保護者はみんな、ともかさんが戻ってくることを待っています。」

 
私は胸がいっぱいだった。
こんなに信じてもらえて、求められていて
ありがたさしかない。

 
いくら11年働いていたとしても
もう退職して1年以上が経過したのだ。

それでもなお
ここまで言っていただけて嬉しかった。

 
 
「施設はあれから変わっていったわよね。施設が大きくなっていって、色々変わって。
ともかさんと一緒に保護者会で行事を作ったあの頃が一番、楽しかった…。」

 
それは私も全く同じ思いだった。 
利用者も職員も保護者も、似た思いを抱えていた。

 
「あれは、大きかったですね。あそこから色々なものが変わったり、変わらざるを得なくなりました。

あの頃、本当に楽しかったですね。準備は大変でしたけど、楽しかった。

行事が次々縮小したり、なくなって…それは他に優先することがありましたし、背景は理解できましたが、昔から施設を見てきた身としては、その変化が寂しくもありましたよね。」

 
Aさんは知らないが
いやもしかしたら薄々感づいているかもしれないが
その施設であった改悪…あれにより
私は実質退職したようなものだった。

 
私以外も職員はたくさん辞めた。

 
変革とは、そういったことなのだろう。

 
私は仕事が嫌いで退職したわけではない。
骨を埋めたかった施設だ。
辞めたくなかった。
まだまだ働きたかった。

ただ、離れざるを得なかった。

もう仕事を続けられなくなってしまった。
だから辞表を出した。

退職を決断したのは私だし
退職に悔いはないが
それでも今でも
前職の職場を思っている。

毎日、だ。

 
 
  
立ち話をすること数十分
お互いに積もる話がたくさんあった。

AさんもBさんも元気そうな様子が見られたし
Bさんとのやりとりも当時を思い出して
とても懐かしくなった。
その日、Bさんが身につけていたものは
私も見覚えのあるものばかりだった。

 
「ともかさん…繋がりは消えないわ。」

 
Aさんは私に言った。

 
「今はコロナだからできないこともあるけど…施設で出会えて、繋がって、だから私達は今日また出会えた。見えない何かで繋がっているのよ。途絶えさせたくない。

今日の再会はきっかけになると思うんです。」   

 
「本当に今日は会えて嬉しかったです。」

 
 
AさんやBさんは優しく朗らかな方で
前向きなパワーや希望をいつも分けてくださる方だった。
今日二人からは背中を押してもらえた気がした。

久々に再会できるなんて思わなかったし
再会した時にそこまで言っていただけるなんて思わなかった。

話している間は私も終始笑っていたが
二人と別れ
車に乗り込んで一人になったら
私は涙が止まらなくなった。

 
「ともかさん…繋がりは消えないわ。」

 
その言葉が心から離れない。

 
 
 
大好きだった。
大好きを通り越して、私は愛していた。
自分の事業部も
同僚も担当利用者も保護者も
みんなみんな大切だった。

退職してみんなに会えなくなったことが
コロナ以上に私にとっては辛かった。 

 
コロナ禍と退職が重なり
動くに動けない。
会う手段は限られているし
立場上、私から連絡はとれない。

偶然会うか
相手からの連絡を待つしかない。

 
毎日探していた。
前職で関わった人と何らかの形で再会したかった。

そして再会した時に笑い合いたかった。
頑張っている私でありたかった。

 
それが今日、まさに叶ったのだ。

 
神様はいるのだ。
私の願いを叶えてくれた。

 
生きていればどこかでいつか会えるかもしれないけど
会いたくても
お互いに思い合っていても
会えない場合もある。

 
奇跡だ。
本当に今日は奇跡だった。

 
このまま会えないかもしれないと思った利用者と保護者に
まさか今日会えるとは思わなかった。

 
退職しても
転職しても
コロナ禍であっても
立場上動きに制限がかかっても
思い合っていれば
こうしてまたみんなと再会できるかな。

 
会えなくなった今も繋がっている。
そう信じてもいいかな。

 
…信じてもいいのかもしれない。

 
 
私は頑張るよ。

思い通りにいかない日や悲しい日や苦しい日もあるけど
やれるだけやってみるよ。

そうしたらまた
いつかどこかで
前職のみんなと再会できて
笑い合えたら嬉しい。





 

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