見出し画像

#17 星についての愛を語る

 先日の「#16 夜についての愛を語る」の続編。

 本当に、夢だったかのような美しい音が響いた夜。

*

 あれは確か小学生の頃だったと思う。わたしの学校には定期的にバントラックに乗ったおじさんがやってきて、希望者に対して一人ひとりに何やら雑誌を渡していくのである。だいたい来る日が固定で、その当時まだかまだかと楽しみにしていた記憶がある。

 あれはなんという雑誌かなぁと思って調べていたら、その名前が出てきた。学研から出ていた「科学」と「学習」シリーズである。どちらのシリーズも買っていた友人もいたが、わたしの家庭は厳密にどちらしか買いませんというルールがあった。なので購入するときは、ついてくる付録で決めていた。何か作ることが楽しみな子どもだったのである。

※今も復刻版のようなものがあるんですね。今のヤングチルドレンは何を楽しみにして生きているのだろう。気になるところです。

*

星に願いを込めて

 ある時、「学習」を買ってパラパラとめくっていたら、しし座流星群がもうすぐ見られることを知った。しかも何十年に一度かのビッグイベントで、それはそれはたくさんの星が流れる日らしい。興味を惹かれたわたしは、当日9時にきちんと寝て、深夜2時ごろに起き出して空を眺めた。1998年の11月のこと、今から20年以上も前の話である。

 寒い空の下、田舎町なので外灯も何もあったものではない。あたりはしんと静まり返り、まるで妖怪や幽霊が出てきそうな勢いだった。ブルーシートの上に寝そべり、空を仰ぐ。心配で見にきた母が、かなり厚手の布団を持ってやってきた。

 雑誌の特集では、その昔同じようにしし座流星群のピークを目の当たりにした人たちの姿が描かれていた。彼らは、始めて見る天文ショーに心底驚いて、星が落ちてきた!この世の終わりだ!と方々に雲散霧散したという。もう時間をおかずに、次々と星が流れたそうだ。すご。

 小学生の想像力は逞しいので、それこそ自分も本当にその場に直面したのであれば、願い事幾つも叶えられるじゃない!と無粋なことを考えたわけである。その時の夢は、好きなお菓子を山ほど食べたいということだった。小さな子どもの思考なんて、そんなものである。いとをかし。

 では実際のところ、当日の様子はどうだったかというと、とんだ肩透かしにあったのである。1秒間にいくつもいくつも星が流れるという話だったが、かなり誇張されていたように思う。せいぜい10秒に1個くらい流れるのが限界だったのではないか。子ども心ながらにちょっぴりがっかりした。

 それでも、流れ星を見るという経験自体が初めてだったので、あ、本当に星って流れるんだ!という驚きは間違いなくあった。残念ながら、願いを込める前に星粒はあっという間に消えてしまったが。かくして、お菓子を山ほど食べる夢は潰えた。

 やがて星は傾き始め、だんだん瞼が重くなってくる。良さそうなタイミングで、切り上げようかと母と話をしていた時に突如それは現れたのである。

 橙色の尾たなびく、ひときわ存在感を放つ流星が。

*

昔がたり

 残念ながら流星群はわたしが思っていたほどではなかったが、最後に見た流星の姿が忘れられなかった。後で調べたら、それは大火球と称して天文マニアたちの間でにわかに話題になったそうだ。

 それからわたしは星の魅力に取り憑かれた。ちょうどその時年頃だったせいもあってか、夜眠れなくなった時には外へ出て、同じように暖かい布団にくるまって空を眺めるのだった。次第に星の形自体にも興味を持ち、星座早見盤で空を眺めるようになった。

 やがて星座はギリシャ神話と密接な関係性があることを知り、当時友人にバカにされながらも図書館に通って小学生向けの本を読んだ覚えがある。その殆どは忘れてしまったが、メドゥーサやオリオンの話については今でもなんとなく覚えている。とにかく心が躍った。昔の人は、かつてのわたしと同じく、なかなかに想像力が豊かだ。

 父親はやたらと星を眺め続けるわたしに何を思ったのか、誕生日にほらこれと不器用な調子でそっと双眼鏡を渡した。その時のわたしの喜びようと言ったら。なんだかんだ今振り返ると、親には陰ながら色々尽くしてもらっていたのだと感じ入る。今からでも、親孝行をせねばならぬと思う。

*

宇宙少年

星を撮ることに夢中になった時もある

 そのくらいから、ぼんやりと宇宙飛行士になりたいという夢を抱くようになった。わたしが暮らしていた街には奇遇なことに、Jaxaが運営している施設があって、宇宙を学び放題だったのである。では果たしてその夢に向かってまっすぐ突き進んでいったのかというと、そんなことはない。

 中学生くらいになって、より夢中になれるものを見つけ、わたしは煌びやかな星々を追うのではなく、白い球を追ってラケットで打ち返すスポーツにハマることになるのである。わたしは宇宙少年にはなれなかった。

 やがて学生の頃に海外へ行くようになり、全く光のない場所へ行って満天の星空を眺める。その時、かつて自分が思い描いた世界を想起する。そしてカメラを構えてパシャリパシャリと撮った。社会人になって、「宇宙兄弟」という漫画を読み、もしかしたら自分にも彼らのような未来を描く道があったのかもしれないと地団駄踏む。…と思ったが、自分の視力が圧倒的に悪いことを思い出し、悔しさはあっという間に引っ込んだ。

 今でも、真っ暗な空を眺めて、小さいながらも圧倒的な光を放つ星々を見ると、胸が疼く。過去自分が思い描いた夢について。初めて見た、流れる星のことを。その時の記憶は、スピッツの「流れ星」という曲とセットになっていて、ふとした懐かしさに襲われる(この歌は、今でも大好きだ)。

 星をめぐる、さまざまな物語。かつて暗い闇の中を歩く人たちにとって、星のかけらたちは彼らの文字通り「希望の星」だったに違いない。

 幼い頃は、なんでもできると思っていた。何にでもなれると信じていた。その頃のような途方もない、爆発力と推進力を兼ね備えた愛の塊を、今も探している。


故にわたしは真摯に愛を語る

皆さんが考える、愛についてのエピソードを募集中。「#愛について語ること 」というタグをつけていただくと、そのうちわたしの記事の中で紹介させていただきます。ご応募お待ちしています!


この記事が参加している募集

休日のすごし方

私のイチオシ

末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。