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CUTBOSS MAGAZINE 2019年4号(2月3日号)

日々noteを書いている人だったら多分共感してもらえる人もいるんじゃないかと思うのだが、「何でそんなに書くことがあるの?」と尋ねられることが不思議でしょうがない。今回は敢えて返事せずに上手く無視したのだが(めんどくせー相手だったので)、「だって、生きてるし」というのが私の答えだ。

冬になって寒くなったらその感想が書けるし、春になって暖かくなればその感想が書ける。こうやって誰かに何かを尋ねられて何かを感じればそれを書けるし、生きてさえいれば書くことなんて無限に湧いてくる。きっと、書くことがないと思い込んでしまっている人たちは、「上手く文章を書かないといけない」とか、「読んでもらって意味のあることを書かないといけない」とか、そういう風に捉えているんじゃないだろうか?

これは仕事でも同じだ。営業ではなく、開発中の打ち合わせで、「客と一言も話せない」と萎縮しているメンバがいる。それは口頭ではなく、チャット上ですらだ。開発は閃きだ。どんな些細な情報も、閃きの糧になる。だから、無言は罪なのだが、その一言に絶対の責任があると思い込んでしまっている。

自分の発言が、発信が、アウトプットが、誰かの意味のあるものかなんて、結果でしか分からない。その瞬間には、誰にとっても意味がないし、次の瞬間には、誰かにとって意味があるかもしれない。

だから、それを発信する前に自分自身で検閲してしまうのは、私は勿体無いと思ってしまう。検閲しなければならない責任なんてないし、結果なんて分かりゃしないんだから、好きなことを好きなだけ発信したらいいじゃんか……と、別の知人に話したら、「そうは言っても、〇〇さん(←私のこと)だって、さすがに記事にしないような些細なこと、あるんでしょ?」と言われたので、この「CUTBOSS MAGAZINE」を始めました。

些細なことも含めて全部書いてやる…これが今年の裏設定。では4号です。

目次
・嘗ての焼肉部
・同じ「痛がり屋」として
・「私モテ」が泣けてくる
・「旅行感」の押しつけ合い
・茂木健一郎って迂闊だからなんか親しみある
・海賊版リーチサイトに執行猶予なし判決は転機か?



嘗ての焼肉部

私のストレス解消法は典型的な過食だった。丁度10年前の思い出。激務で殆ど休みがないアプリ業界、その残業代を消費する時間すらない。貯金額が増えることはむしろストレスで、私は無理やり時間を作って、旨い飯を食うことを自分に強制していた。

学生時代、私は水泳部だったので、仲間と力を合わせて打ち勝つ、という体験が一度もない。個人技で、速い者が偉い世界だったからだ。先輩後輩という上下関係すら希薄だった。実力主義という点で、今のアプリ屋と通ずる所がある。

当初、私は部下たちを引き連れて焼肉ばかり食べていたので、社内の別のチームから「焼肉部」と揶揄された。私は団体で行動する部活の経験がなかったので、当時、それが理解できなかった。だが、最近、ふと思ったことがある。私は、仲間で行動する「部活」に、深層心理では憧れていたんじゃないかって。

運動部の経験しかないので、その毎日がトレーニングだということしか私は知らない。文学部など所謂文化部は、集まって毎日、何をしているのだろうか?未だに私の中では未知の世界だ。漫画の中の世界みたいに、他愛もない会話を繰り広げながら、毎日を笑って過ごすのだろうか。今更、文化部の活動が羨ましい。

10年が経って、私はまた憧れているのだろうか。嘗ての焼肉部は解散して久しい。もう、あの面子が集まることは二度とないだろう。「楽しいことは永遠には続かない、だからその時を全力で楽しむ」というのが私のモットーだ。前も後ろも見ない。その時がその時だ。



同じ「痛がり屋」として

私はLINEやメール、このnoteもそうだが、「通知」の類を一切見ない。面倒だからだ。通知機能をそもそも全てOFFにしている。私が必要と思うときだけ、私の意思で最低限の行動をする為だ。

先日、珍しく、書いた記事(前述)を読み返していたら、コメントを戴いていたので、気まぐれに返事をした。適当なやり取りは好きではないので書きたいことを書いていたら、私の中で盛り上がってきた思いがあった。コメント欄に書き始めたら戸惑わせて失礼だと思ったので、ここに改めて書くことにする。

恥ずかしながら初めて知ったのだが、魚にも「痛点」があることが判明したらしく、また、ストレスを与えずに殺せば、その肉質は向上するそうだ。

捕食する生物が痛いかどうかなんて食べてしまうのだからどうでもいい、と思う人はきっと大勢いる。だが、痛みを与えなければ旨味が増す、と知れば、世界中で痛みを与えないようになるだろう。結果的に、人間は「苦痛」を与えずに生物を捕食するようになるわけだが、それは同じ生物としての気持ち、思いやりではない。勿論、それで心が軽くなる人だっているだろう。それを「優しさ」だと表現する人もいるだろう。

だが、漫画・寄生獣で、「(人間を含めた生物たち)痛がり屋だ」と表現されていたのが、凄く私には共感できた。

同じ地球上の痛がり屋として、私も魚も、海老も蟹も、牛も豚も、全ての生物と、痛みを共有しているのだと思った。それは「優しさ」なんかじゃなくて、生物の根源の本能として。

ずっと、人間は地球上で凄くエゴイストな生物だと思っていた。シャアみたいなことを言いたいわけではないが、「旨いんだったら、痛みなく殺すわ」なんて考え、極まっていると思っていた。だが、野生の動物が人間を食って、痛みなく瞬殺で殺せば旨味が増すということを学習したら、野生の動物も学習して、それを後世に繋いで前向きに相伝すると思った。だから、人間がエゴイストなんじゃなくて、そもそも、地球上の生物は、全て同じで、そうなんだって思った。

今でこそ明確に言語化できるが、子供の頃、ずっと違和感を抱いて日々を過ごしていた。地球で人生を全うすることに凄く違和感があって、それが拭えなくて気持ちが悪かった。地球上の生物は、「宇宙に出る為に進化してきた」と私は思っている。だから私はあの頃、言語化できないもどかしさに悩まされていた。地球の生物じゃないのに、地球に縛られていたからだ。全ての生命は宇宙に繋がっている。宇宙で誕生したのに、地球で誕生したと思っている。宇宙に戻りたいのに、地球に居たいと思い込んでいる。

例えば、ドラゴンボールにはフュージョンポタラがあって、仲間たちと合体する。ピッコロもネイルと同化する。そしてより強くなる。HUNTER×HUNTERでは蟻(キメラアント)が人間を喰らって、より強い生物に進化する。この創造は、人間の深淵に隠された願望じゃないかと私は思う。同化。同じ「痛がり屋」同士が合体して、「痛がり屋」を克服して、より強い生物に進化する。地球上の最終生物となって、宇宙へ飛び立つ為に。それは、全ての生物の意思を背負っている。だからより良い状態で同じ「痛がり屋」と同化する為に、痛みを与えずに最大限の良質な状態で同化する為に、人間も野生の動物も、そうするんじゃないかと思う。痛みは同化じゃない、強制で略奪だから、痛みのない吸収は、生物としての正当な融合なんだと思う。愛護精神や美食なのではなく、本能が求めた結果なんじゃないかと思う。



「私モテ」が泣けてくる

何度か紹介しているが、ここ数年での一番はやっぱり「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」じゃないかと思う。

第02巻の巻末で、作者が「打ち切られ干されているはずだった」という旨を吐露していたように、ぼっち陰キャちんちんギャグとして展開していたら、きっと早々に打ち切られていたと思う。実際、それに飽きて読まなくなった読者もいるのではないだろうか。

だが、第03巻から生徒会長が登場して、黒木(主人公)を少しずつだが気に掛ける人たちが増え始める。最新14巻が面白過ぎた(Amazonの絶賛高評価は大げさではない)ので、改めて全巻を一気に読み返したのだが、今の展開への布石は、まさにこの第03巻から打たれていたように思う。谷川ニコは過去回のエピソードを使うのが凄く上手いという評判を目にしたことがあるのだが、リア充たちを虜にする今の黒木と過去のボッチ黒木との対比が、絶妙で本当に感心するし、感情移入させられて思わず涙すら出てくる。とにかく、谷川ニコを見捨てずに、ここまでの作品になるまで支援してきたスクウェア・エニックスは凄いし本当に偉大と思う。嘗てはエニックス派だったが、惚れ直した。

最新14巻は、加藤明日香(黒木の同級生)との関係がメインと言ってもいい。この加藤明日香、密かに私のめちゃくちゃ好きなタイプの女子で、高校生当時リアル同級生だったら絶対に骨抜きになってるわと思っていたのが、まさにそのまま最新14巻で展開されたので、驚きと嬉しさで変なテンションになった。第10巻の三者面談で加藤明日香が一コマだけ登場するのだが、そのときはどうでもいいモブなんだと思っていて対して興味もなかった。第11巻で席替えすると黒木の前の席が加藤明日香になるのだが、ここから絡みが多くなってくる。このときの初絡みだけで私は加藤明日香に物凄く惹かれてしまった。今回の第14巻でさらに一気に黒木に近づいていく。

そもそも、黒木は陰キャ女子だが、この漫画のネームを考えているのは男だ(作画は女)。ネモ(黒木の同級生)が「男のオタクみたいな発想」と黒木を揶揄するのだが、そう、その通り。これは黒木という女子の仮面を被った、オタク男子の妄想・理想を具現化している漫画だ。

日常の中でなんとなく自然に友だちになるなんて有り得ない。それが黒木の入学からのボッチ二年間で、修学旅行や遠足という強制コミュニケーションで黒木の普通ではない個性に周囲が気づくことになる。キッカケは強制で、アプローチは相手から。勝手に株を上げてくれて、勝手に仲間だと思ってくれる。当初は上から目線で付きやってやるかという態度を取るが、この繋がりが掛け替えのない眩しすぎるものだと気づかされる。そしていつしか、それを大切に思うようになり大事にしようと黒木も変わっていく。

まさにこれが、心から望む理想のデビューなんだよ。多くの現実では、三年間ボッチで、卒業すれば同窓会の誘いすら来ないし、こちらも誰一人として覚えていない。あのときの理想と後悔を今、この漫画が余すこと無く具現化してくれるから、思わず涙が出てしまう

最近この漫画が百合化してきたと評する人もいるが、黒木は男に置き換えて読むから面白い。そして加藤明日香だ。加藤明日香は天然で悪意を持っていない。善意ではない、そういう感覚、意識すらを持っていない。黒木も言っていたが、聖母かと思うしキャバクラのNo.1だったら間違いなく貢ぐというのは心から同じ思いだ。こういう女子は学生時代に何人か出会ったことがあるが、眩しすぎてこっちが辛過ぎた。なぜ誰とも分け隔てなく接することができるのか、なぜ後ろ向きな捉え方を一切しないのか。今の私だったら黒木同様完全にのめり込んで全てを貢ぐ自信があるが、あの学生当時は自分とのあまりにも器の違いに一番遠くに避けていた。だからそれを覚悟を決めて受け入れられた黒木がやっぱり羨ましいし、その後悔を拭ってくれたことがとにかく嬉しい

物語はまだ三年生の五月。じっくり邂逅しながら読んでいきたい。スクウェア・エニックスは谷川ニコをこれからも大事にしてほしい。

感極まって、↑長文レビュー書いてしまった。



「旅行感」の押しつけ合い

黒木は修学旅行でも強制的なコミュニケーションによって周囲に徐々に認められていくのだが、現実は勿論そう上手くはいかない。こないだ、会社で「旅行感」の話になって、本当に人それぞれだなーと思わされたのだが、それは外国人だからかもしれない。日本人は基本的にお互いの「旅行感」を無神経に押しつけ合っている印象がある

私の場合、基本的に旅行は大嫌いで、学生時代は修学旅行も何も楽しくなかったし、遠足の類は全て仮病で参加しなかった。プライベートで泊まりの旅行の経験は皆無と言ってもいい。とにかく観光という特異なイベントに興味を持てない。景色や建物、文化、歴史に対しても何も感じないし、私が唯一地方へ移動する意味があるのは、食事だけだ。旨いものを食べる為だけにその地へ行く。名古屋へ鰻を食べに大阪から新幹線で出発し、鰻を食べたら特に観光もせずにすぐに新幹線に乗って名古屋から大阪へ帰る。こういうことはよくする。贅沢…と言われるが、興味もないのにダラダラと観光して時間を無駄に使うことの方が私に言わせればよっぽど贅沢だ。時間は絶対に戻ってこない最重要な資源だ。

私とは違って所謂リア充の同僚は、旅行だけは絶対に一人で行くという。全ての観光が自分の興味の中ならいいが、相手の好きなものを自分が好きではないことがあるので、その無駄な観光が本当に勿体無いし折角のテンションが一気に冷めるのだそうだ。一人なら、行きたいところだけに行けるし、食べたいものだけを食べられるし、なんだったら、気まぐれに帰りたくなったら後の予定を全てキャンセルして帰れるから、そういう自由さ、ストレスフリーが旅行の醍醐味なんだと。

これには共感できる部分も多かったが、私の場合、私が食べたい食事を絶対に欠かさず優先してもらえるならば、その他は自由にしてくれて構わない。どこへでも行くし、いくらでも行く。「嘗ての焼肉部」で行った鳥取も、「蟹の親子丼」を食べた以降は、私の意思は死んでいた。もうお腹は満足だから、好きにしてくれと。帰ってもいいし、どこへ行ってもいい。

……社内で出た結論は、この面子では旅行は無理っすね。という話。だから学校行事の強制旅行というのは、心ひとつで私の考えも変わっていたのかもしれない。もう遅いが。



茂木健一郎って迂闊だからなんか親しみある

茂木健一郎が最近note始めたっていうから、その記事についついコメントしてしまう。

茂木健一郎は権威のはずなんだが、その言動の迂闊さにどこか親しみがある。でもこの迂闊さって自分にとっても誰かにとっても大事なんだって思っている。まさに茂木健一郎に抱いているように親しみを感じるし、だからこそ色々な発言に説得力がある。

私は趣味で占いをしていて、ホロスコープが読めるのだが、後輩の女の子の占いをしたときに、「〇〇さん(←私のこと)って、ちゃんとしてないから逆に相談しやすいです、占い師も向いてますよ」と言われて複雑だが結果的には嬉しかった。ちゃんとしていて隙のない人ってどこか胡散臭さも同時にある。だから詐欺師ってちょっと抜けている所を見せることが手口になっているし。女性ならその手口で母性本能を握られてしまう。

私は学生の頃、ちゃんとした大人になりたかった。だから、前述したが、聖母みたいな同級生の女子は本当に心から恐れた、自分が醜くて。まあ、その後、今、身の丈にあった生き方でいいやって思えるようになっただけでも、良しとはしている。

話をしているだけで、自分の中の何かをじゃんじゃん引き出してくれる相手って、稀にいるよね。自分からこんな斬新な考えが生まれるなんて有り得ない、一人だったら絶対に無理だった、って。それって大概、世の中のお手本みたいな人間が相手じゃない。自分とはまた違った「おかしさ」を持った人なんだよ。まさに「私モテ」でネモが黒木に本音を引き出されてしまったように。背伸びして気取って生きる風潮、誰の為の世界なんだろう?



海賊版リーチサイトに執行猶予なし判決は転機か?

まず執行猶予がなかったのは驚いた。本気じゃん。これでいい。著作権に対する意識が本当に低いって、本業のアプリ開発の現場でも思うことが多いから。無断で勝手に素材をアプリに搭載しちゃうとかね。学生インターンとか特に酷い。

以前、NPOでボランティアでアプリ開発を子どもたちに教えるのが趣味になっていた時期があったのだが、そこに従事する大人たち、NPOに金が無いという背景もあったのかもしれないが、権利を無視して子どもたちの為にじゃんじゃんアニメとか漫画のカットを使ったテキストを配るんだよね。ホームページにもアップしたり。マジで事件になるから辞めろって言っても、今までも平気だったから、平気でしょ、という理屈で辞めてくれなかった。それで揉めて逆に私がそのNPOを辞めた。

一般の著作権に対する意識なんて、こんなもんなんだと思う。コピーするというそのアナログな行為・発想自体を強制的に止められなければ、こんなもんだ。パソコンにコピーとペーストという機能があって、家庭にプリンターがあるんだから。止まらんわ。

ところで、デザイン料ってべらぼうに高いんだよね。だからプロにアプリのデザインを依頼することって殆ど無い。そのデザイン料だけで、もう一本アプリが作れるくらい高いんだから。だから未だに、酔狂な素人デザイナーを探している。カットモデルみたいな、無料で私のデザイン使ってください、みたいなデザインを勉強中の素人。例えば、メモ帳アプリなら私は数時間で作れるのだが、そのデザインを勉強したい素人の為に、メモ帳アプリをリリースする。メモ帳とか電卓とか、誰でも使うアプリって、実はUI/UXでの差別化くらいしか競う点がない。この呼びかけに興味を持ってくれた人は数人いたが、素人には絶対に金は払えないから、この話が成立したことは一度もない。金よりも経験そのものはマジで貴重なんだけどなあ。ってのはズルい考えなのか?大人の事情はどうであれ、無償でアプリ開発を教えていたボランティアの経験は、私の中では相当の糧になっているんだけど。

食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。