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2023年11月の記事一覧
私の昭和歌謡56 心もよう 1970
青いペン白い便箋用意して相手のいない恋文綴る
私のラジカセ好きは、中学生からずっと続いている。
今はCDもなくなって配信の時代。すごい進歩だ。
形のない曲だけがすぐに聴ける。買える。
お気に入りのプレイリストをPCやスマホに作れる。
でも。私はラジカセが好きなんです。笑ってください。
中学生までは、叔母のレコードを聴かせてもらったり、近くのレコード店で、「これ、かけて‼️」と頼んで、どうに
私の昭和歌謡55 ちょっとお茶でもw ゴジラ-1.0に怒り狂う主人の話
七十年。昭和・平成・令和へと絶好調のゴジラの人気
ずっと昭和歌謡の連載をしてきたので、今回は、ちょっとお茶でも飲んで語りましょうか。
週末、IMAXシアターで「ゴジラ-1.0」を観た。
主人の運転で片道50分。
「ゴジラ-1.0」を映画館で観ようと主人が考えて、主人が予約をした。いつも、相談はないw
映画館のあるモールで食事をする。いつも、さぼてん!主人は迷わないw
その後、有隣堂で本を見
私の昭和歌謡53 世界の国からこんにちは 1967
こんにちは元気な日本はどこへやら涙にむせぶ太陽の塔
大阪万博1970年。私は中学2年生。
祖父に連れられて万博へ行った。
祖父、叔母、従兄弟、私、妹。
この小旅行は、家族と一緒の安心感と、父母がいない開放感で、かなりのアドレナリンが出ていた。
この旅行で、私は祖父という人間を少し知った。
まず祖父は旅行へ行く時、財布しか持たない。行った先で下着を買う。これが発覚したのは(叔母は知っていた)
私の昭和歌謡52 戦争を知らない子供たち 1970
戦争を知らない子供も今はもう戦争知らない老人の群れ
これは北山修が詩を書いて、加藤和彦に曲をつけてもらおうと渡して断られた歌。結局、杉田二郎が曲をつけて、大阪万博ホールのコンサートで歌って、それから杉田二郎がずっと歌い続けている。
北山修77歳。杉田二郎76歳。
🎵 若すぎるからと 許されないなら
髪も毛が長いと 許されないなら
今の私に 残っているのは
涙をこらえて 歌うことだけさ 🎵