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ちゃぴとわたしの5 years in TOKYO

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生きているといろいろなことがある。いいときは一緒に喜び、そうでないときは心に寄り添ってくれた猫ちゃん。人よりも人っぽく、だまってみつめてくれた。それがわたしの生命力、エナジーでし… もっと読む
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記事一覧

猫の太郎と次郎、そして私。

猫の太郎と次郎、そして私。

猫付きの一家だった。

わが家にはいつも猫がいた。いわゆる圧倒的な猫好きの家族というのでもなく、どちらかというと、何となく捨て猫をかわいそうに思ってきたことの帰結だったような気がする。わが家は大家族で、両親、祖母、兄弟、私、兄の友人である居候たちを加えると一時は総勢十一人が一つ屋根の下で生活していた。猫を飼うといっても今日風の室内飼いというのではなく、オープン飼いだから、自由に出入りはできるが、か

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小学生のBeekeeper

小学生のBeekeeper

私はミツバチを担当する飼育委員

私は小学4年で転校した。つまりわが家は、都心からまだ自然が残る郊外の住宅地に引っ越した。転校当時は、私の生活スタイルがその地域の子供たちと違っているからなのか、今風に言えば彼らから仲間外れにされていた。それが担任の先生にも分かっていたからなのか、先生は私に飼育委員になることを勧めた。私は仲間外れにされて辛いと思ったこともないのだが、それよりも動物を飼育することの方

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割れたレンズに消された「養蚕」への夢

割れたレンズに消された「養蚕」への夢

宮中で今も続けられる蚕の飼育

大学に進学するとき、長期的な人生を考えて、例えば将来は宇宙開発にかかわりたいので、宇宙物理が強い大学を選ぶという学生がいる。あるいはまた、野球などあるスポーツが好きで、そのスポーツの強豪校である大学を目指す学生もいる。その点私は、理学部、農学部、工学部といった漠然とした将来への目標はあるのだが、たかだか高校生という年齢の段階で、理学部の中で動物学、宇宙物理、生化学と

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懐いてくれていた?セキセイインコ

懐いてくれていた?セキセイインコ

事務所のセキセイインコ

私は一時、大阪でプランニング事務所を開いていたことがある。さして儲かっていたわけではないが、とにかく一年中忙しい事務所だったし、そこそこの数の社員もいた。そんなことで代表者だった私は、朝の十時頃から夕方の五時頃まではいわゆる営業で得意先などを回っていたが、同時にプランニングの実作業の責任者であったので、夕方頃からはデスクワークをしなくてはならなかった。
私の仕事のパターン

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長居公園の競馬場

長居公園の競馬場

のどかで楽しい馬の散歩

大阪の東住吉区に長居公園がある。今ではあまりリアリティがないのだが、かつてこの公園には長居競馬場があった。確か、併せて競輪場があったような記憶があって、どちらが先かは私の記憶にはないが、当時の子供たちの印象では、あまり健康的な公園ではなかったと思う。競馬場とはいっても小さなもので、競馬場の周辺には競馬場を囲んだ高い立木があったような気がする。

土曜日や日曜日となると、競

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灼熱のうどん屋

灼熱のうどん屋

おそるべしモノの弾み!

まったく私的なつまらない話なのだが、モノの弾みは恐ろしい。真夏の昼下がり、にわかに空腹に陥って近くに適当な店がないかと見回したが、辺りに店らしいものは見当たらない。少し遠くにうなぎ屋ののぼりが見えた。正確には今日は土用ではないが、ザクッとはほぼぴったりな季節なので、いつもならそれで決まりというところだった。
ところがその日は、その選択では何かしっくりこなくて、もっといいも

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男の鑑と、男の鏡

男の鑑と、男の鏡

男にも鏡は必要

男も40歳くらいまでは、たまに鏡を見て櫛で頭を整えたり、頭にヘアートニックをつけて髪型を整えたりすることがあるが、そのうちにだんだん髪の量が少なくなり髪に対して、あるいは頭部に関して関与する余地が少なくなると、ついにはほとんど鏡を見なくなる。さらに歳を重ねていくと、髭をそるのもおっくうで、自分の顔を見る機会も少なくなって、あるいは自分の顔など見たくなくて、やがては自分がどんな顔で

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