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2024年7月の記事一覧
気づきの支援日誌7/17
コーチングサービスの実務を仕事として7年以上やってきたけれど、ロールモデルなんてなかったから、常にご利用くださる方々との関わりの中で、試行錯誤で実感を伴った意味形成をやらせてもらっていた。
でも、試行錯誤なしでは、自分という一貫性を欠いた、わりきったものになっていたかもしれない。
そもそもこの仕事でわりきることは、あまり良しとされていないし、そういう分裂を選択していたら、身がもたなかっただろう。
気づきの支援日誌7/16
「クライエント」という用語を、あまり使いたがらない自分がいる。
なぜだろう。
近ごろ「サービスをご利用くださる方」というひらたい表現を、内言としても外言としても使う傾向がある。
「クライエント」という言葉を禁句にしているわけではない。
ただ、最初は、禁句にしていたところもあったかもしれない。
どこかの国の障害学の院生が書いた論文だったか、クライエントという用語の使い方には「クライエントにはこうい
気づきの支援日誌7/14 -コーチングセッションで起きていること-
コーチングサービスをご利用くださる方々のセッション展開の傾向を、ざっくりまとめてみようと思った。
あくまで、支援に活かす狙いではなく、支援現場という対人交流の現象について「どのようなことが起きていると言えるのか」の説明を試みるものとして整理したい。
そして、ご利用くださる方の傾向ではなく、セッションプロセスの傾向を概念化する。
セッション記録をもとに整理した結果、以下の3つの指向パターンに分
気づきの支援日誌7/13
「目的」「習慣」「危険性」「意思決定」といった目に見えない概念を頻繁に活用する人間にとって、個々が意味を生成する営みは本当に尊い。また、その生成が起きる対話も美しい。それは、コーチングセッションの参加者としても感じるし、こういう会話があったというお話を伺って、傍目にみても美しいと感じられる。
そして、意味の生成のエネルギー源である感情のうつろいも、また尊いものに思える。
ここまでを概観している
気づきの支援日誌7/12
「よくないところ」「悪いところ」と社会的に評価されるような要素を、どのような人間でも持っている。
それは、そうした社会的評価含め、完璧とは程遠い社会のさまざまな矛盾を学ぶようにして、幼い頃から現在に至るまで適応しながら生きてきたのだから、当然と言えるのかもしれない。
社会の中でさまざまな要素を学び、それが生きるための適応パターンとして内在化される。それらのパターンの集合が性格となる。
こうした生
気づきの支援日誌7/10
大変ありがたいことに、数年続けてサービスをご利用される方々も結構いらっしゃる。
そうした方々との最初の1-2年を振り返ると、クライエントさんのかけがえのない人生で培ってきた経験・感じ方・信念や価値観などについて、試行錯誤で理解を形成し、その都度、いろいろなことを教わってきた。
よくサービスマーケティングの文脈で、特に心理カウンセリングやコーチングなどの対人サービスの領域の商品は無形であり、事前に
気づきの支援日誌7/9
コーチングサービスをご利用いただいている方々のお話を伺っていると、不思議な体験をすることが多々ある。
そのうちの1つが、突然ひっぱられる感覚に襲われるというもの。
ちなみに、スピリチュアルな話ではない。
お話を伺っていて、このお話はいろいろな観点から受け取ることができそうだけれど、どの観点から理解を進めていこうかと、少し迷うことがある。
試しにひとつの観点を選び、理解を進めていくと、たいてい
気づきの支援日誌7/7
内面に関わるコーチングのことをBeing Coaching と呼ばれている。それに対して、目標達成やアクションの選択などについて扱うコーチングをPerformance Coaching という。
クライエントの人生に関わる上で、この2つの側面を扱えることが大切とされている。
自分の中では、これはあくまで分類をしようとした時に使える用語であって、「ここからはBeing Coachingに切り替え
気づきの支援日誌7/5
深い他者理解を試みる時に働く脳のネットワークをキープするためには、きびきび判断する時のような覚醒状態(興奮)になってはいけない、とされている。
それは体感的によくわかる。やる気や気合いには頼れない働き方が求められるんだなぁ、とよく思う。
仕事中の覚醒水準は、脳波でいうところのα波(安静)~Θ波(まどろみ状態)の間を、セッションの展開に合わせて行ったり来たりすることになる。
そのために受けた自律
気づきの支援日誌7/3
今日、こちらの事情で一時的に共感的理解の形成に支障をきたした。
ご利用いただいている方にご負担をかけたかもしれず、反省…
暑さには強い方だと思っていたけれど、身体の自律神経系はわずかな異常を検知して、なんとかしようと他者理解より問題解決が優先されるよう、脳のネットワークに少し制限がかかったのだろう。
すぐに気づいて、リモート中にご利用されてる方に断りを入れてから冷房を強めた。
それで、いつも通り
気づきの支援日誌7/2
ここ数年、自分自身の死生観について考えることも増えた。
「会者定離」という言葉だったか? 出会った人とは、いつか必ず別れることになるという言葉があったような…
社会通念的な死生観というか、他者と共通見解を持つための理解というより、自分自身が他者とのさまざまな関わりを通して、自分用の理解として持っている死生観の方。
これは、他者が代わりに把握してくれるような代物ではないから、自分で把握するほかな
気づきの支援日誌6/30
「AをすればBになる」という方法論というか、機械論と呼ばれている考え方って、人間みたいに、それぞれの個体が様々な意味づけを独自にして、物事を複雑に認知して生理的反応を多様に表す存在には向かない。
「Aをすることで、一瞬Bになったけど、それを上回るCとDの特徴が出る」とかもありそうだし、そのCとDの特徴は本人にとって望まないものだったということも、当然考えうることだろう。
たとえば、ランニングを
気づきの支援日誌6/29
偽りのない関わりをすればするほど、自分がこれまで関係してきた人たちや社会との間で培ってきた「当たり前」というか概念パターンに向き合うことになる。
社会生活をおくるうえで役立つものとして、自分が使ってきたものでもあるから、矛盾があれば自己矛盾として感じられるものでもある。
だから、避けたくなるのは当然かもしれない。
そこも含めて、認めることでたくさんのパターンと向き合って、より納得のいくパターンを