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気づきの支援日誌7/2
ここ数年、自分自身の死生観について考えることも増えた。
「会者定離」という言葉だったか? 出会った人とは、いつか必ず別れることになるという言葉があったような…
社会通念的な死生観というか、他者と共通見解を持つための理解というより、自分自身が他者とのさまざまな関わりを通して、自分用の理解として持っている死生観の方。
これは、他者が代わりに把握してくれるような代物ではないから、自分で把握するほかない。
把握することで、なんだかわからない自分の反応も、認知的に扱えるようになる。
セッションで伺うどのようなお話も、ご利用される方の意味にもとづいて理解を作っていけるようにするために、自分用の理解は要所要所で整理をつけておきたい。
それに、セッションでは少なからず、自分用の理解にもとづいて、人生や死に関わりをもつことになるのだから、その意味でも、こまやかにみつめていきたい。
他者が把握するための理解ではなく、自分が把握するための理解。
いわゆる"自分の言葉で"というもの。
結構、時間はかかりそうだ。じっくり進めていこう。
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