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気づきの支援日誌7/5

深い他者理解を試みる時に働く脳のネットワークをキープするためには、きびきび判断する時のような覚醒状態(興奮)になってはいけない、とされている。

それは体感的によくわかる。やる気や気合いには頼れない働き方が求められるんだなぁ、とよく思う。

仕事中の覚醒水準は、脳波でいうところのα波(安静)~Θ波(まどろみ状態)の間を、セッションの展開に合わせて行ったり来たりすることになる。
そのために受けた自律訓練法やリラクセーション呼吸法の訓練は、とても役立っている。

それでも、どうしてもコントロールが難しくなる時がある。

安静-まどろみの間にいる時は、セッション中であっても本音と呼べる感情や想いすらわいてこないのがベースとしてある。
そうでなければ、セッションをご利用くださる方の認識をお借りした対話は、スムーズにいかない。

けど、ご利用くださる方に、あまりにも素敵だなと感動したり心打たれると、やっぱり自分の認識である想いがわいてくる。

つまり、興奮と共に本音というものが生じてくる。


基本的に、思ったことを隠したりねじ曲げたりしないことが、使っているコーチング理論(特にパーソンセンタード・コーチング)の基本姿勢。

だから、結果的に感動した内容も伝えることになっている。

お伝えしたところで、それが暑苦しいものに感じていらっしゃるかもしれない。

それでも、セッションを構成するプロセスの中で、その方とのそのお話をしていたからこそ起きた現象ではある...

まぁ、すごく葛藤はする。無用な圧を与えてしまうことになるのでは、と。
知れば知るほど、大切に思えるから。

そう言えば、どこかの古い本で「丸腰で関わって、クライエントと共に揺れることが大切」という文脈を見たけれど、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。

もちろん、僕はまだまだ至らないところだらけで、理論的理解を抜きにすれば、なにが良いセッションなのかは、いまだによくわからない。

ここまで書いて、気づいた。
今までそうした類いの葛藤を手がかりに、実際にセッションをご利用くださる方々との関係性から、たくさんのことを教わってきた。だから、「良いセッションとは何か」という命題にも一生をかけて模索していきたい。

まぁ、そうできたらいいなぁ、というのが現在の自分の方向性。


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