見出し画像

(105)「自己犠牲の愛」はあるのか?⑤

<切り返しの術>
【原則5】「話のTHE END」を必ず「Happy 」(感謝)で終わらせること

最後に、どんな話をしても「話のTHE END」は必ず「Happy 」で終わらせる。

世の中の90%以上は反面教師。
「残念な体験」をして、初めてそのことについて真剣に立ち止まって考えることができる。どんな経験も「気づき」と「学び」を頂いて「感謝」に置き換えること。

この彼女のケースのように
「夫から虐げられているの。」
と言ってきたら、
「それはお気の毒ね〜。」
とは絶対言ってはいけない❌

「ご主人が大病することもなく、仕事もあって、家族のために働いてくれている。それだけで感謝よ〜。
私たちの年齢になると、闘病したり、コロナで仕事を失った人だって大勢いるのだから。ご主人が健康でいてくださるだけで幸せよ〜。」とご主人の良いところを探して言葉を返す。

彼女の大義名分「自己犠牲の愛」も
「夫の健康」あってこその話だからだ。

彼女が「でも〜」と言ってきたら
「大事な二人の子どもに恵まれたのも、
ご主人のおかげ。それだけでも十分奇跡だよ。一つの命が授かるって、1億円の宝くじに連続10回以上当たるよりも奇跡なのよ。母親にならせて頂いたことだけでも感謝よ〜。」

それでも彼女が「だけど〜」と言ってきたら、
「家族を養って頂いて、こうやってランチにも行ける。それだけでも有難いことだよ。」

彼女が最後「ほんとね。」というまで、
「光輝く言葉のオーラ」(言霊ことだま)で切り返していくこと。
私は「切り返しの術」と命名している。

ここまで彼女に言えばわかるはず。
彼女は一度も夫に「ありがとう」を言ったことがない。

口先ではない。
心からの「感謝の言葉」を。

照れている場合じゃない。
mustだ。
そうすれば、ご主人は必ず変わる。
男性の感情は単純でシンプル。
ご主人は寂しかったのだ。
家族なのに一人孤独だったのだ。
横柄な態度はそこからきたもの。

すなわち、何が「自己犠牲の愛」??
彼女は「悲劇のヒロイン」になって浸っていたいだけ。

この「note」の役割は、私は宗教の教祖ではないので、「私のいうことを広めて!!」とは全く言っていない。

しかし私に話を振られなかったら、読者は一生そのことについて思考することがなかっただろうことを、エッセイを通してふんだんに読者に投げかけている。「note」を読むことによって、立ち止まり「思考のきっかけ」となることを「目的」でしていること。

「自分ならばどうするか?」と。

どんな不都合なことも、
「気づき」と「学び」を頂いて「感謝」に置き換えるという「脳トレ」のようなもの。
「不都合なこと」から逃げない。そして「光輝く波動の言葉」で必ず締めくくる。

「幸せね!」て。

(終)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?