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#22【自己紹介】8 「書く」ことについて考える

note.に文章を書き始めて2週間が経過しました。
1日1本の投稿をめざし、この2週間は守ることができています。
数書くことも大事だけど、書きたいものを書くことも大事にしたい。
ここ数日「書きたいのに書き終わらない」話題があります。

映画『PERFECT DAYS』の感想が書き終わらない(泣)

くらたは映画や舞台、美術館などを観るのが好きです。これは、好奇心からくるものだと思っています。

余談ですが、休職前の一番追い詰められていたときは映画や舞台も全く楽しめなくなりましたが、休職し心身の疲れが取れてきたらまた楽しめるようになりました。かつて、古代ギリシャ研究家・藤村シシンさんがライムスター宇多丸のラジオで言っていましたが「労働は体に悪い」。至言です。皆さまもどうぞご自愛ください。

閑話休題。
くらたは、映画などを観た後あれこれ考えたこと感じたことを話したり書いたりするのが好きです。そうして自分の中にその経験の居場所を作ってストックして、その経験とともに生きていく。また何かの際にその抽斗からヒントを得たりアイディアの源にしたりします

しかし。それなのに。
映画『PERFECT DAYS』の感想が書き終わらない!!!
今のところわたしの劇評はうんこ映画のことだけ。その状況を脱却したい。

映画を観て感じたことをつぶさに書いていきたい。
書いて置かないと消化不良に似た感覚に襲われます。
『PERFECT DAYS』こそ、観るべきものを観た、語るべきものを観た、と思う映画でした。
友達に話すことや、ほかのSNSのように短い文章を前提とした場と違い、ここではある程度まとまった量の文章で、まとまった形で書いて残しておきたい。
でも、感じたことの断片が多すぎて、その断片をつないてひとまとまりの文章にする作業が、途中何度も疲れて終わらない。
その格闘を一週間以上続けて思ったことには……

ぜんぶでこぼこ脳のせいだ

あ、これも脳のでこぼこのせいだ。
WAISの結果にもこう書いてありました。

言語理解力や抽象思考力が高い一方、聴覚からの短期記憶力・情報操作力が個人内でやや緩やかであるため、頭の中で描いているアイディアや洞察した内容、判断に至った経緯などを、頭の中で体系的に整理しながら説明することにやや労力がかかりやすくなる。処理速度も高いため、目の前の課題を素早く解決させたい衝動も起きやすいのでもどかしさを感じやすい。

↓ くらたのIQ検査について、また好奇心について詳しくはこちら

(好奇心が強いから)映画も舞台もたくさん見たい。美術館も博物館も行きたい。本もマンガも読みたい。
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(自分の中に居場所を作りたい衝動)見聞きしたものすべてに、あれこれ考えてそれを言ったり書いたりしたくなる。
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(でこぼこ脳だから)「言ったり書いたり」の言語化にものすごく時間がかかる。しかも、見聞きしたもののインパクトが大きければ大きいほど。

ぐぬぬ……わたしの脳の本当に困ったところは、ここなのかもしれない。
仕事のストレスから離れ、人との関係性の問題でもないのに、自分がやりたいことチャレンジできていることの中で、一番のもどかしさが発生しているとは。

それでも、言語化することに衝動を覚える以上、書かないでいることもつらいことです。だとすれば、少しずつでも書くしか道は残されていません。
書いたものが自分の頭の中で起きていることと完全に一致することは難しくても、もどかしくても苦しくても、少しずつでも書くしかない。

とにかく書き始めること

とにかく書き始めることの重要性を、内田樹氏が書いていました。

課題が来たら即答する。時間があくほど「それなりのものを書かないといけない」というプレッシャーが無意識にかかってくるんです。
 これはほんとうの話です。学者が陥るピットフォールのひとつ
なんです。
(中略)
 そうやってついに「続き」を書くことができずに終わった研究者は君が想像するより何倍もたくさんいます。
 ですから、あまり工夫しないでいいです。
 課題が出ても、なかなか時間が取れないこともあるでしょうから、1週間くらいをめどにして「即答」をめざしてください。

内田樹『内田樹の研究室』「自分のヴォイスをみつけるためのエクササイズ」

林修先生も、仕事について似たようなことを書いていたなあ。
とにかく始める。手を付ける。そして、早い段階で見せる。
卒業論文の執筆中、担当教官にろくに見せもせず、教官のお慈悲とご寛容のおかげで卒業できたくらたには、耳が痛い話です。当時のくらたはとても幼かった。就職活動とか卒業論文とかに真摯に向き合えなかったのですよね。

歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんがかつてNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』で、「花なんてあんなに美しく咲くけれども誰に見せるつもりで咲いているわけではない、その無意識の美しさが究極の目標」と語っていらっしゃいました。「誰に見せるつもりで咲いているわけではない」という言葉が響きました。他人様に見ていただく以上最低限いい加減なことは書かないのは前提としても、文章を書くうえで心にとめておきたい言葉だと思いました。

そういう意味においても、1日1本の投稿、という目標は、そんなに悪くないように思えてきました。くらたにとって手に余る大きさの物事を書きたい場合に、どういうふうに取り組んでいくのか、これからこの場を借りて模索していきたいと思います。

おまけ:内田樹氏のエクササイズやってみた

上記引用の内田樹氏の文章で触れられている「課題」が面白そうだったので、ついでにやってみました。ご興味ありましたらぜひリンク先へどうぞ。

課題(6)ははじめての課題ですけれど、「対話」を書いてもらいます。台詞だけ。芝居の戯曲と同じです。でも、「ト書き」は要りません。登場人物の名前も性別も年齢も職業もあらかじめ規定する必要はありません。ただ対話だけ。もちろん、オチも教訓も要りません。前の言葉に反応して、次の言葉が出てくる。ただどんどん対話が進み、時間が来たらぷつんと切れる。

最初の台詞だけ決めておきますね。

「誰待ってるの?」

内田樹『内田樹の研究室』「自分のヴォイスをみつけるためのエクササイズ」

くらたの回答

「誰待ってるの?」
「知らない人」
「知らない誰を待っているの?」
「知らない人は知らない人さ」
「知らない人なら、どうしてそれがその人だって見分けがつくの?」
「ぼくがまだ知らない面白いことすばらしいことが世の中には隠されているに違いないんだ。それはきっとぼくの知らない誰かが知っているんだよ」
「どうしてそう思うの?」
「だってぼくは退屈だから。誰も面白いことを教えてくれないんだ。
 知らない人のうち、面白そうにしている人がきっとその人だよ」
「もうどのくらい待ってるの?」
「もうずっとだよ」
「あとどのくらい待つの?」
「もうずっとだよ」
「来るといいわね、じゃあ、さよなら」
「うん、さようなら」

うーん、難しいけど、やってみるのは楽しいです。
イシス編集学校の編集稽古にも似ている部分がありますね。
「意味しかない」感じになってしまって非常にお恥ずかしいけれどもこのままさらしてみる。こういう感じの小劇場系の芝居がありそう……って言ったら失礼か。でも大学生時代は演劇サークルに所属していたので、こういうお芝居たくさん見たし、作ったなあ。
(完全な蛇足でした。)

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