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日記というにはあまりにも

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流れる日常、更に勢いを付けて垂れ流しています 私小説もここに振り分けていたりします
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兵庫の海から

兵庫の海から

旅に出かける為に口座に残っていたひとしずくを丁寧に平で掬って、4時間ほど新幹線に揺られた。夏に浮かれていたことがよく分かる通帳の羅列、経済的な困窮。よく考えれば明日は給料日だ。素直に喜ぶ、訳があるまい。夏期のそれはいつも貰う分より遥かに少ない上、実母に借金までしていることを思うと、かいたばかりの7月分の汗もすぐすぐ乾いてしまう。

旅行先でさえ、うまく眠れない。枕に身を預けて目を瞑る。エアコンの設

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私の地獄

私の地獄

人間、生きているとそれぞれの地獄がある。3年前まではパクチーが人生における相当な地獄に君臨していたが、大学卒業前よりカメムシの持つ美的感覚に魅せられたことで、好き好んで食べるとは言えないまでも口に入れることには困らなくなった。地獄と呼んでしまうとあまりに凶悪すぎるので、ここでは嫌いを代替として話したい。
どの分野においても " 嫌い " と断言出来るものはなく、好きなものと興味のないものという二分

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第2の祖母が亡くなった日。

第2の祖母が亡くなった日。

茫然自失の状態を乗り越え、穏やかな気持ちでドビュッシーのアラベスク第一番を聴けるようになるまで実に二週間もの時間を要したので、書道筆ではないこそすれ、こうして筆を摂る。

これ小学校4年の頃から書道を始め、中学3年になるまで筆を取り続けた私の話。何をやっても三日坊主であった私が、ひとつのことに6年間という時間を費やすことができたのは、書道半紙に向かうにあたって何処か沸き立つものがあったのだと思う。

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I’m bored.

I’m bored.

ひと通りの投稿を見終わってから無意味にスクロールを繰り返して、新しいものがいよいよ出てこなくなる頃に初めて感じる、仄かなる生活への行き詰まり。
楽しみにしていた予定すら通過してしまうと残るものは寂しさのみで、項垂れながら銀行口座を開くとボーナス、基本給もまるまる無くなっていた。経済を全力で回してやるのだ、そう息巻くことが出来たのも金がそこにあるからであって、不必要な出費を繰り返していたら真夏の最中

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圏外

圏外

つい先日、自室の引き出しを漁っていた時のこと。7年前くらいだろうか、空室になった姉の部屋からくすねてきた携帯電話とその充電コードを発見した。充電しながら小一時間待って、私には何ら関係のないメールを読み漁り、満足したところで着メロのシリーズをひと通り聴き流してみると、手の施しようがないほどの郷愁に襲われた。部屋の掃除も佳境に差し掛かる午後6時、四畳半の部屋に低音質で鳴り響く " おぼろ月夜 " を聴

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孤独を憎み、愛する

孤独を憎み、愛する

「孤独」がまあまあ使いやすい言葉になってしまって、彼女だって彼氏だって、家族だって友達だっている上に一定の立場と金もあるような奴がこぞってその手の言葉を雑に振り回すものだから、いつからか孤独という二文字は本当にたった一人を指す最小単位じゃなくなってしまった。
孤独が嫌ならあの時隣に居た人たちを突き放さなれければ良かったし、何としても埋めたいならそのふた足で歩き出せばいいのに、ただ身勝手に立ち止まっ

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サブリミナル

サブリミナル

生まれつき、「待つ」ことを激しく苦手としていた私にとって、テレビゲームという存在は底の見えない退屈そのものだった。起動ボタンを押してから、動き出そうとするまでに必ず、相手側の都合で極めて無意味な猶予を与えられる。慣れている人たちはこの間を縫ってゲームの話をするなどして上手く遣り繰りするのだが、一方の私はと言うと、一定の周期でぐるぐると回るロード画面を見つめることがやっとで、それすら終わる頃には、コ

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あたらよ

あたらよ

" 新しい " を何と読む。元はと云えば 「あらたしい」と読まれていたものが江戸時代からの長きに渡る誤用で、「あたらしい」と読むようになったという。その証拠に " 新たな " と書き付けたなら、「あらたな」という音が帰ってくる。間違いが長い時間をかけて正しくなってしまう。確かに「あたら」と読むより「あらた」と読むほうが遥かに耳障りが良いと感じるし、日常に飛び交う誤りを知りつつもまた少しだけ、知らな

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欠落

欠落

少し前に購入した自家用車は生産から15年経っているオンボロ車で、外装の加工に縋って外面だけは新品同様、この年を生き延びている。純正品のカーナビは2006年を最期に時が止まっていて、4年前に開通した道路の存在を彼はまだ知らず、延々と田園地帯の上を走らせる。近隣にはその昔、由緒正しき日本家屋を基調とした割烹居酒屋が建っていた。まともな人間であれば確実に寝静まるような夜更けの街に、飴色の光を煌々と差し出

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きっと、誰も読まないのだから

きっと、誰も読まないのだから

年度当初から一切引き継ぎのない状態で仕事をスタートした。" 全て " がない状態から " 全て " を構築するのだから、ハンニバル将軍のアルプス越えに匹敵するくらい、無理のあることだ。農地開拓に適さぬ荒廃した土地を前に、一度は絶望した屯田兵の気持ちが、今になれば分かるような気がする。まるで他人事のように会議内容を聞き流して、ふたつの会社から人数分の資料が届いたのは、仕事を始めてからしばらくのことだ

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震える指先、脈を攫って

震える指先、脈を攫って

雨の中で吸う煙草。その昔親族が集まる度に叔母の化粧ポーチからくすねた煙草と同じ味がする。この春から勤務地が変わって、出勤に要する時間が2倍に伸びることになっても、相変わらず会議室に揺蕩う眠気は顔色を変えない。先の職場は禁煙という制約を掻い潜る術があり、これを以て立ち上る眠気を制していたが、何処から覗いても建屋の外見が蔑ろになるような造りが、やがて私の暗躍を無きものとする。昨年よりも仕事の量も一段と

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揮発

揮発

熱々の湯が並々注がれた湯船に入ること。流れる日々の中で、ほんの少しだけ通りかかる幸福感は、何者にも変え難い。鼻をつまんで湯船に潜りながら、静かに膨らむ湯の音を聞く。その昔は1分間水中に潜ることなどなんてこと無かったのだけれど、凡そ5年ほどに及ぶ不摂生な生活がもとで、今は55秒の時を数える頃にはじたばたと苦しい思いをする。昨日よりも一昨日よりも長く潜ることが叶う度に、まだまだ呼吸ができるのだと実感し

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インソムニア

インソムニア

体調を崩して何となく仕事を休みを取った。突発的に悪くなった、という訳ではなく、ピースが抜かれ続けてグラグラになったジェンガのように、少しずつ芯がなくなってきた頃、繁忙期前日を狙って休みを取った、ただそれだけの事である。週明けのどんよりとした空を見ながら、プツンと糸が切れる音がしたような気がして、震える手元を制御しながら、覚えのいい番号を入力した。静かな部屋の中で職場に電話を掛けたところまではよく覚

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Camellia

Camellia

椿の種は思ったよりも早く丈の低い紙皿を埋め尽くし、拾った種子たちの宛先を買ったばかりのコートの胸ポケットへと移した。外殻の硬い部分を指で撫で付けながら、ラグビーボール様の塊と小石を丹念に分別する。間違えてドングリを4つばかり手にして、今日ばかりは用がないと暗がりに放った。一見見分けの付かない山茶花と椿の違いはその花の散り方にあるが、葉脈の構造も大きく異なる。しかし時は夕刻、途轍も無い勢いで落ちてく

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