見出し画像

私の地獄

人間、生きているとそれぞれの地獄がある。3年前まではパクチーが人生における相当な地獄に君臨していたが、大学卒業前よりカメムシの持つ美的感覚に魅せられたことで、好き好んで食べるとは言えないまでも口に入れることには困らなくなった。地獄と呼んでしまうとあまりに凶悪すぎるので、ここでは嫌いを代替として話したい。
どの分野においても " 嫌い " と断言出来るものはなく、好きなものと興味のないものという二分で考えることを心掛けていて、どんな世界でも迎え入れる準備が出来ている。" 嫌い " のふた文字は社会が考えているよりも鋭利かつ攻撃性が高い。故に私は嫌いになる前に対象物から徹底的に逃げ続けるという、非常に姑息な手段を選んで生きてきた。その努力も手伝ったことで現在はこの世に実存する物体に対して、糾弾してやろうだとか、破滅に追い込んでやろうというものもあまりない。

但し、風船を除いては。

ベタなドッキリ番組の中のこれまたベタな演目に、密閉空間で巨大風船が突如音を立てて膨らむというものがある。じっくりと時間をかけて爆発する風船を前に、仕込みがなされたタレントがわかりやすいリアクションを取る様子を見ながら、徐々に嫌悪感を強めていった。コンプライアンスの影響なのか、私と同じ気持ちを抱く者がいたのかは分からないが近年ではこの手の低俗な番組が減ったことで、私は安心している。かと言ってこれと引き換えに出てきた在り来りなドッキリ番組を好ましく思っているかというと、そんなこともないのであるが。

確かに、大きな音は怖かった。生まれて初めて花火に触れたのは3歳の頃と記憶しているが、色とりどりの一尺玉が天空へと打ち上げられることに対しては恐れに似た気持ちを抱いていた。大きな音が色を忘れさせてしまって、少なくとも10歳くらいまでは純粋に楽しむことはできていなかったと思う。中学生時代に理科資料集のコラムにて花火の色には化学的な力が働いていることを知ってからは、まともに花火を見られるようになった。

しかし問題なのが " 風船 " である。遊園地に行った時に雑にあてがわれる、サプライズと来たら部屋に敷き詰めてある、風船だけはどうにも敵に思えてならなかった。いつ破裂するかも分からない、そんな存在が傍らに居ることに疑問を抱かない方がおかしいのではないだろうか。遊園地にて着ぐるみを被った大人が配る風船には断固として手をつけなかった。義務教育期間に風船を脇に挟んで擦り合わせ、静電気を起こすという実験があった時には目が回りそうになった。そこから10年ーーー。風船という存在はあくまで「子供の玩具」であると考えていた私は、職場でもう一度、もう二度風船を手にする。一度目は同僚が立案した " 風船バレー " というもので、ひとつの風船を地面に着けないように全員でトスをし合うというゲームである。ボールより耐久時間が長いこと、衝撃が少ないことを理由としたプランそのものは安全面を重要視している素晴らしいものだった。聴きながら思わず気分が高揚した。しかし「実演してみましょう」のひと言で高揚したエネルギーが怒りに変わる。輪っかの中で楽しそうに風船を上げる子どもとは反対に私はいつ破裂を迎えるのか気が気でなく、もみあげの辺りに尋常ではない量の汗をかいた。割れなければ良いとは言えない。親指の先端を使って風船を上空に浮かせているうちは綱渡りをしているかの如し焦燥に駆られているのだから、30分じっくりと時間をかけて行われたその遊戯は耐え難い地獄であった。

その勤務校を離任する際、華々しく送別をしてもらった。注意力散漫で忘れ物の多い私がここまでの激励を受けて良いものかと心配になったが、黒板に描かれた一人ひとりの温かい言葉に胸を熱くした。宴もたけなわ、1時間に及ぶ別れの時間が終わると同時に我に返った。黒板一周をぐるりと張り巡らせているのは色とりどりの風船だった。ああ、これが地獄か…。恐れをなしすぎた私はこの後、1メートルの物差しを2本繋げた手製の竿先に万能テープで画鋲を括り付けひとつひとつの風船を遠隔操作で割り散らすことになる。3個潰す度に声にならない声を出し、砕ける風船の音を聴き。私の地獄は、紛れもなく風船であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?