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#38 不快なコンテンツの理由を考えてみた

私はnoteを始めたことをきっかけに、色々な方が書いたnoteを少し覗くようになりました。
すると、とても面白く快いものを書いている人がいる一方で、結構不快な感じの記事も多いと感じました。まぁこれは、noteに限ったことではなく、メディア全般の現象だとは思いますが。
それで、折角なので、この不快の理由は何なのか、と少しだけ考えてみることにしました。
私はメンタルが強くありませんから、不快との付き合い方が上手くなればQOL向上につながるのではないか、などという下心に拠っているところもあります。あらかじめ白状しておくスタイルです。
本記事は備忘録のようなものです。開放的な備忘録。他者に向けた備忘録。こころを曝け出す練習です。

価値観の相違

どーん!!そもそもなんですが。結局、不快の原因ってこれなんですよね。
もうこればかりはどうしようもありません。
人狼に道徳を説いたって無駄なんです。根本的に解り合えないものがある。
不快を感じたら、さっさとページを閉じましょう。
解らないものは解らないんです。諦めましょう。何か引っかかるのであれば、数年後にまた訪問すればいいのです。
私は、不快なコンテンツを絶対悪だと言う気はありません。こういう人がいるんだ、へぇ。ということが知れるので、ある種の社会勉強にはなるでしょう。エコーチェンバー対策のためには有効かもしれません。しかしながら、それは体力気力のある時にやるのがいいでしょう。余力があるがゆえに興味関心が外に向いている時が最適ではないでしょうか。
ここから少し脱線しますが、お許しください。
数年前でしょうか、私は他者にイライラしないコツに気が付きました。
それは、「虫や植物などの自然を観察するように人と接する」というものです。
人を観察対象として分析の俎上にあげてしまう。すると必要以上に感情が動かないことに気付いたんです。だから怒りも憎しみも軽減される。あ、でもこれは私の場合は、ですからね。あくまでも。
以上のような経験から、人が書いた文章においても分析対象として接するのが楽しいと思います。ある種の好奇心で以て接する。今のところそれは効果的だと実感しています。
まともに取り合っていては疲弊するでしょう。
相互理解は素晴らしいことですが、常識を共有していることが前提になります。先述した人狼のたとえを思い出してください。
それを忘れると、とても厭な感情が蓄積されていきます。

強い攻撃性

強い攻撃性をもったコンテンツに触れると、とても厭な気持になることが解りました。当たり前のことかもしれませんが。
それは暴力みたいなものですからね。
でも、以前も書いたことですが、恐らく暴力って人間にとってとても魅力的なものなんですよね。
たとえば映画や漫画とか、その多くは暴力に依存していますから。物語などという大仰なものを動かすにはそれぐらい強力な起爆剤が必要なのでしょう。
あぁ、それに戦争自体がエンタメ的ですものね。ものすごくダサくて俗っぽいでしょ。
と、書いていて私もかなり攻撃的になっていることに気付きました。なんか、ムカつく感じの言い方してますね。
何を隠そう、ここ数日、私の書いているnoteは攻撃的な要素が強いのです。
これはいけませんね。攻撃性は陰気を呼び込み、陽気を排除してしまいます。陽気さは健康のためにとても重要なものですから、なおざりにしては自分が辛くなります。note読んでる場合じゃありません。踊りましょう。
私は、他者のnoteを物色していて攻撃性が感染したのかもしれません。
私はとても影響を受けやすい質であるという自覚がありますから。
とにかく、攻撃性は負のエネルギーを伝播させ、増殖させます。そのエネルギーの容量には上限がありますから、圧力によって押し出され、どんどん遠くまで飛んでいきます。
それに気付いた私はここで負のエネルギーと縁を切らねばなりませんね。
それは気付いた者の役割のような気がします。ゴミ拾いのようなものです。
気付いた人からコツコツやっていきましょう。イエッサー。

・・・・以上のようなことが解りましたとさ。たった二つだけ。単純ですね。
誰もが余裕で解っているようなことを垂れ流しただけのような気もします。
余計なお世話というか、、、、需要あるんすかね、これ苦笑
まぁ、でも私の備忘録なんで。ご容赦ください。

本記事を最後まで読んでくれるような忍耐強く、穏やかで、好奇心があって、慈悲に溢れるそんなあなたが私は大好きです。

それではまた。


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