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フィルモア通信 New York

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フィルモア通信 New York DUANE PARK CAFE Chef SEIJI MAEDA and RICHARD OVERHOLT  トライベッカの乾杯と死

フィルモア通信 New York DUANE PARK CAFE Chef SEIJI MAEDA and RICHARD OVERHOLT  トライベッカの乾杯と死

セイジさんと仲間たち

 ニューヨークに来て十年目くらいの春か夏、週末は相変わらず忙しいデュエンパークカフェ、誰もが認める本格レストラン、ファインフード、ファインサービスなのにカフェという名前をつけたのはセイジさんが誰にでも親しみやすく気軽にワインや料理を楽しめるようにと、値段も、提供している酒や料理のコスト品質を考えると格段に破格のレストランだった。
 
 グラマシーパークのヒューバーツレストラ

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Dallas Texas 九月の熱い日々

Dallas Texas 九月の熱い日々

 これは下書きで、本来人に見てもらえるような構成とか物語になってないと思います。しかしnoteさんの呼びかけに恥を承知で応じてここに出させてもらうのは、やっぱりこのご時世、いつ自分も明日がなくなるやもしれないと、いつまでたっても子供騙しのような小さな物語の断片を、空中に塵と消えるに任せるよりはせめてこの電気の流れのなかに留めたいと願うからです。物語のなかの人たちは確かにそこに生きてぼくらに語りかけ

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フィルモア通信 New York Seiji&Huberts going going gone.

フィルモア通信 New York Seiji&Huberts going going gone.

セイジ、ニューヨークタイムス、ぼくらの手

 セイジさんは日本の大企業から在米駐在としてニューヨークにやってきた。そして何年か後アメリカ永住権を取得して会社を辞め、四十歳を前にして料理の道に入った。当時アメリカでは最高峰の料理学校、ニューヨークアップステートにあるCULINALY INSTITUTE OF AMERICA 通称CIAは授業料も高く基本的に全寮制なので除隊補助でもないと自力でやるしか

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フィルモア通信 New York No 25 カレン・ヒューバート、ジャクリーン・ケネディ・オナシス夫人の赤いスーツ。

フィルモア通信 New York No 25 カレン・ヒューバート、ジャクリーン・ケネディ・オナシス夫人の赤いスーツ。

 カレンは文才があり、自分のレストランのマダムとして昼夜ダイニングルームを取り仕切りながら自分の本の執筆にも忙しかった。ぼくが早めのランチシフトでキッチンに入る頃に、犬のラルフと彼女は散歩から帰って来た。
 ラルフがいつも決まった所で立ち止まりくんくんやって用を足すのが彼のニュースペーパーを読むことなのだとカレンは教えてくれた。

 そうか、ニュースペーパーだったのかとぼくはかねがねニューヨークの

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Seiji’s Duane Park Cafe 最高の一皿

Seiji’s Duane Park Cafe 最高の一皿

リブアイステーキ、クリスピースケート、セイジ・マエダそしてレナート 

レナートは17歳の冬をニューヨークで迎えた。メキシコからの国境をどうにか越えてやって来た。

 デュエインパークカフェはトライベッカの南、ウエストブロードウェイをデュエインストリートの東に折れてすぐに柳の植え込みが目印となるアイリッシュグリーンにペンキが塗られた古いアパートメントの一階にあり、1ブロック西にデイヴィッド・ブレの

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フィルモア通信 New York No26 メリル・ストリープ

フィルモア通信 New York No26 メリル・ストリープ

 メリル・ストリープと女優たち。

 パークアヴェニュー東60丁目に移転したヒューバーツレストランは建築家、アダム・タハニーのデザインでレンの希望もあって日本の桂離宮の意匠を取り入れたアメリカのインテリ日本趣味がうかがえる造りだった。全てに高額な内装材が使われ、椅子一脚に三千ドル以上かけこのリノベーション総額は数ミリオンダラーといわれ、レストランインベスターのヒューバーツに賭ける期待とプレッシャー

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フィルモア通信 New York no24    PeterHoffman .    STRINGFELLOW.  それぞれの道

フィルモア通信 New York no24 PeterHoffman . STRINGFELLOW. それぞれの道

 長い旅を終えてピーターが日本から帰ってきてしばらくするとダウンタウンで新しくオープンするという高級ナイトクラブのレストランのエグゼキュティヴシェフとして腕を買われた。そのナイトクラブはピーター・ストリングフェロウがオーナーでイギリスのミュージック業界の後押しが有るらしかった。

 どうして高級ナイトクラブとはいえディスコテックみたいなところで料理するのかと、ぼくは不思議だったが、ヨーロッパの高級

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フィルモア通信 New York  No23 Charlie Chan

フィルモア通信 New York No23 Charlie Chan

チャーリー・チャン、シャーリーテンプル、ステットソン。

 ぼくは次の二ブロック先の角を曲がり自分が住むストアフロントへ車道を横切りながら、チャールスを思いだした。何か月か前にぼくはここで家から出る時、東四丁目をセカンドアヴェニューの方にゆっくり歩いてきた彼に会った。

 半年ぶりくらいに会った彼は痩せてはいたが赤いセーターも似合う相変わらずかっこいいダンディだった。「チャールス!」と声をかけると

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フィルモア通信 No19 バルベドス、アリア、ニューヨーク市警二十三分署 その続き

フィルモア通信 No19 バルベドス、アリア、ニューヨーク市警二十三分署 その続き

 前稿の続き。

 その事件があった週末の一番込み合う時間の金曜日のディナーに二人の刑事がヒューバーツレストランにやって来て、マサミという男がいたら今から署に連行すると告げられたカレンがキッチンに入ってきてそれをレンに告げると、レンはぼくを見て「ドン、ウォーリー」と言い刑事たちと話をしにダイニングルームへ行った。

 刑事たちは帰り、ぼくは明日土曜日にひとりで二十三分署に出頭することになったことを

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フィルモア通信 No18 バルベドス、アリア、ニューヨーク市警二十三分署

フィルモア通信 No18 バルベドス、アリア、ニューヨーク市警二十三分署

バルベドス、アリア、ニューヨーク市警二十三分署

 ヒューバーツレストランには異なる多数の人種、言語そして文化を持つ人々がそれぞれの仕事についていた。なかには複数の言語を話しその父母からそれぞれの国の文化や習慣を持つ人もいて、出身国がちがうカップルなども独自の価値観を見出していたりと、ニューヨークの様々な分野の多様性は簡単には理解出来ないものがあり、何も知らないぼくは毎日驚いたり、不安になったり、

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フィルモア通信 New York No22 on the corner

フィルモア通信 New York No22 on the corner

路上にて 

 毎夜ヒューバーツの仕事が終わると帰る方向が同じペイストリーシェフのジョン・デューダックとグラマシーパークから南へイーストヴィレッジのほうへ歩いた。

 サードアヴェニュー東14丁目で別れるとセントマークスプレイスを左に曲がりファーストアヴェニューまで突き抜けると東4丁目にある自分のアパートまではすぐだった。

 そのファーストアヴェニューと東4丁目の西南のコーナーにコリアングロサリ

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フィルモア通信 New York No21    アダム

フィルモア通信 New York No21    アダム

アダム ヤウク

 レンが自分の息子のマシューと一緒に若い男を連れてきて、ぼくらに紹介した。アダムはマシューの通う高校の同級生でふたりとも卒業目前とのことだった。ぼくにはよくわからなかったがアダムは卒業するには何かが足りないらしく社会参加かなんかのクレジットが必要とのことでヒューバーツレストランで見習いの仕事をすることになったらしかった。
 17歳か18歳だかのアダムはしっかりした体つきに繊細な表

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フィルモア通信 New York No20 solitary man

フィルモア通信 New York No20 solitary man

solitary man 

独りで過ごす夜の長さがつらいときもあった。

 レストランで仕事をしているときは自分の考えを必死にクルーに説明し、どうする事がベストの皿に料理できるか考えた。素材の事を考え他者の味覚の事を考えた。

 深夜寝る前に頭に浮かんで来た茄子、どうしようこうしようと想像して朝になり起き上がって、そのまま夜通し空いているコリアングロサリーで茄子を買い、ヒューバーツのキッチンに誰

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フィルモア通信 New York No17     流れる水

フィルモア通信 New York No17     流れる水

流れる水

 天ぷらの修業のつぎは鰻の捌きを覚えようと思い立ち、中央市場の老舗の川魚店に見習いに行くことにした。
朝四時からその捌きは始まり、六時には終わるのでそれから仕事に行くことになった。その川魚店には鰻捌きの名人と言われる人がいて、多くの京都の料理屋がその名人の捌いた鰻を仕入れに来ていた。

 名人は初老の痩せた男で、子供の頃からこの道一筋らしく、まな板の位置と右手の包丁使いの動きに合わせ

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