フィルモア通信 New York No23 Charlie Chan
チャーリー・チャン、シャーリーテンプル、ステットソン。
ぼくは次の二ブロック先の角を曲がり自分が住むストアフロントへ車道を横切りながら、チャールスを思いだした。何か月か前にぼくはここで家から出る時、東四丁目をセカンドアヴェニューの方にゆっくり歩いてきた彼に会った。
半年ぶりくらいに会った彼は痩せてはいたが赤いセーターも似合う相変わらずかっこいいダンディだった。「チャールス!」と声をかけると彼は驚いたがぼくと分かると「ハーイ、マサミ」といつものようにはにかみながら、差し出したぼくの手を握った。
初めて彼と会ったのは、一年以上も前だった。ぼくが働くヒューバーツレストランにチャールスはウェイターの仕事を見つけ、しばらくは出来上がった皿をキッチンからダイニングルームのテーブルへ料理を待つ客へと運ぶランナーの仕事をした。
ランナーは客からのオーダーを取ったウェイターの伝票を受け取り、そのテーブルの客たちの注文を書いた伝票からどの椅子に座る客がメニューのどの料理を注文したかや、配膳の情報を読み取り、肉の焼き加減、ソースを別皿で、サラダにはオイルだけで、とかのよくある客の注文をぼくたちに伝え、出来上がった皿をテーブルごとにすべて同じ大きなトレーに乗せて客席へと急いだ。
急ぐのはぼくたちラインクックが料理が冷めないうちに客へ運べと急き立てるからで、出来上がった皿を次々とそれぞれの注文を席順にとどけるため、客のテーブルを時計の文字盤に見立ててトレーに乗せるのだった。
デザートのコースには幾つかのコーヒー、紅茶、デカフェだのアイスだのダブルのエスプレッソだのカプチーノだのシナモン有りや無しなど、ランナーひとりでてんてこ舞いだった。
ほとんどのウェイターはここから始めて慣れるともっと稼ぎの良いダイニングルームのウェイターの仕事に就く。忙しくストレスが多い。
ストレスの多さはダイニングのウェイターも同じらしかったが、客とシェフ、クルーの両方を相手に働かなくてはならないランナーはしんどい仕事だった。
しかし、チャールズは白人のウェイターにしては我慢強く、パニックになることもなく静かにいろいろ叫ぶぼくらの問いに答え、それを繰り返したりした。彼はディシュウォッシャーやバスボーイ達にも親切でどんなに忙しい時でも乱暴な物言いはしなかった。
とんでもなく忙しく客の混み合う週末の夜、ちょっとしたオーダーの合間にチャールズはぼくに何か飲むか?と聞いて、ぼくが,a glass of waterを, a glass and water please と言うとチャールズは笑いながらぼくにグラスに入った冷たい水を差し出した。アイスティーを作ってレモンを添えてくれたり、シャーリーテンプルを教えて作ってくれたりしたのも、チャールスだった。
飲み物のオーダーが立て込みコーヒー豆を挽いたり足元の砂糖の袋を開けたり、長身をかがめてチャールズはよく動いた。ちょっと舌を噛んで探し物をしたり、料理の皿が乗ったトレーを掲げて颯爽とダイニングルームへ出て行く彼はカッコ良かった。
夕方レストランに出勤して来るチャールスのマフラーやステットソンのカッコ良さを真似したかったが背の低いぼくにステットソンが合うはずもなく、ぼくは長いマフラーを工夫して首に巻きつけたのを見たチャールスが、「マサミ、かっこいいぞ」と言ってくれた時は嬉しかった。
彼は、ぼくにとってアメリカンコミックのヒーロー、チャーリー・チャンそのものだった。
チャールスがホモセクシュアルだということは彼のしぐさや同僚たちとの話しぶりからもすぐに分かった。しかしそんなことは全然気にしなかった。
酷い英語のぼくをチャールスは決してからかったり、ゲイが苦手なぼくを軽蔑することもなかった。「チャーリー・チャン!」と彼を呼ぶと「テレサ・テン」とチャールスはぼくを呼び返した。
ある日、チャールスは休み明けの出勤で同僚にどうも風邪を引いたかもしれない、と言ってそれから何日か仕事を休んだりした。
出勤して仕事を始めてもいつもの快活さがなく疲れた様子がみてとれた。何週間かして彼はぼくらに来週エイズ検査に行くつもりだと言った。
シェフの一人セイジは検査なんか行くな、エイズと分かったところで何にもならない、気にするな、直ぐ良くなるから。と言ったが、あんまり気休めにもならないとぼくは思った。
何週間か前にチャールスは、自分は昨夜素晴らしい相手と出会いグレートな夜を一緒に過ごした、と言っていたのをのを思い出した。東四丁目とセカンドアヴェニューのコーナーにあるゲイの人たちには知れたバーだった。そこはぼくのストアフロントから五十歩くらいのところだった。
やがてチャールスは店に来なくなった。HIVはポジティブということだった。部屋で休んでいると人伝に聞いた。チャールズは人望があったので友人も多く彼の力になってくれる人が寄り添っているらしかった。しばらくしてチャールズは昔の友人を頼ってカリフォルニアに引っ越していったと聞いた。
東四丁目でチャールズと最後に、ぼくのストアフロントの前で彼と出会ったのは、引っ越す寸前だったらしい。そのとき、握手をして、ハグを交わすとぼくらは再会を喜びチャールズはぼくにキスをした。顔が熱かった。
ぼくは「Hey Charlie Chan,you no sick. Come work make me drink ! 」と言うとチャールスは笑い、「Yes,masami」と、応えた。
チャールスの死はバーテンダーのキャシーから聞いた。モデルで女優志望の彼女はカリフォルニア時代からチャールズと仲が良かったらしい。
しばらくしてキャシーがぼくに招待状のようなものを渡し、来週、チャールズの友人のアパートでチャールズを悼み思い出を語るパーティーにぼくは招待されていると言った。
チャールスの書き残した日記にぼくのなまえがあり最後にぼくらが出会った東4丁目で、マサミと会って元気が出た、というようなことが書かれていたらしい。キャシーは、マサミ行くなら一緒に連れて行ってあげると言った。
結局、ぼくはそのパーティーに行かなかった。チャールズを悼み、彼に感謝の気持ちを伝え追憶するのには、あの日の抱擁だけでじゅうぶんだった。
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