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フィルモア通信 New York no24 PeterHoffman . STRINGFELLOW. それぞれの道

 長い旅を終えてピーターが日本から帰ってきてしばらくするとダウンタウンで新しくオープンするという高級ナイトクラブのレストランのエグゼキュティヴシェフとして腕を買われた。そのナイトクラブはピーター・ストリングフェロウがオーナーでイギリスのミュージック業界の後押しが有るらしかった。

 どうして高級ナイトクラブとはいえディスコテックみたいなところで料理するのかと、ぼくは不思議だったが、ヨーロッパの高級レストラン並みの料金を取るその店で自分の考える素材とオリジナルのレシピをもって自分の生まれ育ったニューヨークシティでピーターは腕を振るいたいのだとぼくは察しをつけた。

 オープン前夜のストリングフェロウからピーターは電話をよこし明日オープニングだから手伝ってくれ、と言った。

その夜ヒューバーツのディナーの仕事を終り歩いてストリングフェロウに行き受付で名前を告げると馬鹿でかいようなキッチンに案内され、二十人くらいのキッチンクルーのなかからピーターはあらわれ、マサミよく来てくれたとぼくの手を握った。

 忙しく立ち働くクルーたちに受け答えをしながらぼくにキッチンの中央に置いてあった大きな魚ケースの中身を見せた。それは見事な美しい野生のスコティッシュサーモンで八十センチくらいのが五匹横たわっていた。

胸鰭にはメフンも付いていた。ついさっきまで大西洋に泳いでいたようだった。ぼくは昔読んだ、鮭サラの一生を思い出した。

 ぼくはピーターの要望に沿って魚にナイフを入れて全部で三百のポーションに切り分けた。残った頭はミソスープに、骨は軽く焼いてからソース用のブイヨンにしようということになった。日本で修行したピーターには朝飯前だった。

 ピーターはぼくに明日のオープニングにはスティービー・ワンダーが来るから合わせてやるから来いよと言ってくれたが、明日は金曜日でヒューバーツのディナーも忙しいからとぼくは言い、ピーターに仕事頑張れよ、いつでも力になるから電話くれよと言ってキッチンを出た。

通路にはファッションモデルやら女優たちらしい若い女がいっぱいいた。ぼくには眩しかった。どこかでライラックが匂った気がした。

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