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言の葉

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これまでに投稿した作品のなかから、一部を抜粋してまとめています。ときどき更新するので、よかったらのぞいてみてください。
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#長編小説

子どもを産んではいけない


一 出産というものに初めて違和感を覚えたのは、私が中学生の頃でした。あなたが産まれたときです。

 風が吹けば田んぼに緑の波が立ち、昼間は蝉の声が、夜はクビキリギスの声がする、そんな夏のことです。当時二十代後半だった叔母が、元気な赤ちゃんを、あなたを産み、私の家にやってきたんです。

 あなたを抱く叔母と、その隣に立つ旦那さん、叔母より一回り年上の私の父、そして母。大人たちはみんな破顔していまし

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あじさい

 枯れたあじさいたちの前で、女が一人、しゃがんでいた。丸い背中。カーキ色のシャツや藍色のスカートは、しわだらけで。顔をのぞけば、女の青い手が目についた。やせた十本の指が、花弁を包み込んでいる。

 ねっとりとした風が、広場を這って。シャツの襟元でたゆたう黒髪が、陽光で真白に濡れている。女の正面で、朽ちかけたあじさいたちが、さらさら鳴って。紫、水色、白、ピンク。澄んだ色など、一つもなくて。あるのはた

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黒い髪

 初めて男の子の髪をきれいだと思ったのは、物心がついたころでした。女子よりもさらさらした髪の子が一人、同学年にいたんです。登校班も同じで、あたしはその子の後ろを歩きながら、いつもうっとりしていました。それこそ、下級生に話しかけられても気が付かないくらい。あたしはその真っ黒い毛先に、目玉を突かれていたんです。串刺しにされていたんです。

 触れてみたい。

 だけどその子は男であたしは女。触りたいか

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しばいてやりたい

一 恭介《きょうすけ》のほっぺたをぶったとき、かじかんだ手がしびれました。青白いほっぺたは、ほんのりと赤みを帯びて。

 神社へと続く石段に座っていたわたしたちの頭上から、杉木立の、葉ずれの音が降ってきます。白い息に隠れるように、幼い瞳がわたしを見上げてきて。木漏れ日が、骨張った手や、色の悪い唇の上でちらついて。セーラー服の上に羽織っていた灰色のコートの裾を、わたしはぎゅっと握り締めました。

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