捨ててしまった手紙のために。
誰かが書いてくれた手紙を捨てたことが
ある人はどれぐらいいるのかわからない
けれど。
わたしもかつて、手紙の束を捨てた。
そうしないと自分が立て直せなかったから。
読むと過去がよみがえるから。
みないところに置いておけばいいけれど。
あそこにあの手紙たちは眠っていると
思うと気が気でなくて。
わたしはいつもなにかを捨てて乗り越える。
残酷かもしれないけれど、そうやって
なんとか日常をふつうの呼吸で生きられる
ようにやってきていた。
父の手紙の束を、資源ごみで捨てたことが
ある。
クローゼットの死角にひっそりと佇んでいた
手紙の束が置いてあった場所はぽっかりと
空白になった。
あの空白はその後わたしの微かな罪悪感に
つながっていった。
父はいつもクリスマスになると本を
贈ってくれていた。
母と祖母とわたしが住む大阪の部屋
には父からの贈られてきた本が
1年ごとに増えていった。
母と二人暮らしになってから引っ越した
先の住所にも父はクリスマス
プレゼントを贈ってきていた。
その本にはいつも手紙が添えられていた。
長い時は10枚以上の言葉が綴られていた。
ある時期から父の懺悔のような言葉が
ならぶようになっていた。
「もっとやさしくしてあげたらと
あの頃を振り返ることがあります」
そういう言葉を父親から直接聞くのは
とても辛かった。
もう謝らないでほしいと。
そしてただ憎んでいるだけの時間の
ほうがどれほど自分にとって
楽だったかを知った。
そして年月を超えて、わたしのなかの
なにかが変わる。
それは書くことを仕事にしたことと
関係があるかもしれない。
かたくなに許せなかった時期を経て
憎んでいたことがいつかを境にわたしの
なかで昇華していった。
憎み疲れしたのかもしれない。
そしてわたしはある日じぶんの部屋に
こんな本棚を作った。
その頃のわたしはかつての父と今現在の
父をまるで別人のようにとらえていた。
そして父からの贈り物の本だけで作った
本棚をみていたら、わだかまりが日々
とけてゆくのがわかった。
年月はなにも解決しないことも世の中には
あるけれど。
わたしは年月なのか意識なのかどこか
生まれ変わった気持ちになった。
そして誰にも役に立たない私だけの記録を
noteに書いた。
父と歯車の合わない日々を送ったわたしが
少しずつ修復されるしがないそんな日々の
どこにでもある話にすぎない。
でも、毎日書くということがもたらしたもの
それは、父との関係性がゆるやかに落ち着いた
ことだと思える。
そして実際に去年久しぶりにリアルで父と
会った。
長い年月を経た母との確執もひょんなこと
から溶けたわたしのなかでは忘れられない
一日だった。
その時、父がロビーで読んでいたのは
小川洋子さんの『ことり』だった。
少しというかかなり意外で。
父とぽつりぽつりと『ことり』の話を
していた。
ことりを描きたかった小川洋子さんの
話をしていた。
ふいに俯瞰したらこれは、高校時代の
休み時間かよって思いながらも、
うれしかった。
今はもう流石にクリスマスプレゼントを
贈ってくれることはないけれど。
恥ずかしいけれど、告白すると。
これで本を買ってねってクリスマスの日付に
なるとお金が振り込まれていたりする。
もういいよって言うのに。
わたしいくつだよって言うのに。
パパがしたいんだからいいって、遠慮
しないでって言う。
父から送られてきた本だけで作った
本棚をみていて、この本の数だけ手紙が
あったことを思い出す。
いまはもう失くしてしまった手紙。
あの時は受け止められなかったかも
しれないけれど。
あの時、父が時間をついやしながら
手書きで書いてくれた「心」ぜんぶを
わたしは無碍にも捨ててしまったんだって。
残酷な一瞬の決断を悔やんでる。
ある日、申し訳ない気持ちになった。
そして、あの日父がしてくれたように
わたしも手紙を書いてみたいと思った。
ただ手紙は照れくさいから、わたしは
思いついた。
父が読んでいるのと同じ本を読もうと。
最初は、『ことり』。
そして小川洋子さんにはまっているらしく。
何度も話にでてくるこちら。
この話のなかの息子の名前のルート君の
由来の話でもりあがった。
こちらは残酷なゆらぎを描いたわたしも
大好きな作品『妊娠カレンダー』。
父はどうしてわたしが好きな作家を
知っているんだろう。
そして4冊目はもう決まってる、
カズオ・イシグロの
『わたしを離さないで』。
父は思うように読めないと2度読むという。
はじめてなので、まだ未読だけど。
この春わたしは少しでも読書する時間を
ふやしてゆきたい。
そして、いまさらだけど。
父が贈ってくれた手紙を捨ててしまった
不肖な娘として、父に本の感想文を
手紙にしたためたいと思う。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊