見出し画像

寒露 -かんろ- 寒さは一年のエッセンスを凝縮させてくれる

二十四節気通信。

2020年10月8日〜10月22日までは寒露です。

いよいよ新米の季節です。田んぼを彩っていた黄金色に輝く稲は狩られ、食卓のお茶碗の中には、もっちりと水分をよく含んだお米が並びます。秋分を終え、日ごとに寒さが極まってくるこの時期は、今までやってきたことのエッセンスを凝縮させるには最高の時期です。

寒露とは

寒露とは、冷たい露が結ぶ頃、という意味です。江戸時代に発行された(※)暦便覧(こよみびんらん)にはこのように述べられています。

「陰寒の気におうて、露むすび凝らんとすればなり也」


朝晩ぐっと冷え込むようになり、太陽の熱と混じり合った冷たい空気の中には、露が生じます。そして、あたりが薄いベールに包まれるのです。喉元を通る息はひんやりと冷たく、吐く息が白いことにも気づきます。

(※) 暦便覧;江戸時代に太 玄斎 たい げんさい( 松平頼救 まつだいらよりすけ) が、校訂として天明7年(1787年) (今から233年前) に著した暦の解説書。


この〝露〟という漢字は本当にいろんな顔を持っています。詳しくは秋分の一つ前の時期【白露】の項でも書きました。

露は本当に色んな意味を持つ漢字です。
光に当たってきらきらと美しく輝く露(つゆ)は、「露珠(ろじゅ)」や「玉露(ぎょくろ)」など宝石にも例えられ、美しいもの、として表されます。
(中略)
露を「あらわ」という読み方をした場合、隠れていずはっきりと見えること、隠さずわざと見せること。むきだし。という意味を持ちます。つまり、今まで目に見えなかったものが姿を現す様を露という漢字は表しているのです。
そんな露は、古くは「儚きもの」の代名詞として使われていました。
一度、姿形を感じ、体験として得たものは、その時点で永遠性を失います。
時間も、空間も、幸せも。命だって。だから愛おしいのです。
【二十四節気通信;白露より】

移り気でうっすら白んで見えていた【白露】の時期の〝露〟は、【寒露】の時期では冷たい空気とのコントラストにより、はっきりと知覚される様になるのです。

寒さによりこれまでやってきたことのエッセンスが凝縮する

画像1

空気中に吐いた息が白くなり、外の空気が冷たくなってきたことと、人間の体内に熱が蓄えられていることに気がつきます。

冷たく重たい地表を突き破るように自らの熱を発露させた春。

外側の太陽の熱に誘われて自分の熱を外へ外へと発散させた夏。

秋は、収斂の季節。

秋分を境目に、昼が長くなってくるフェーズから夜が長くなってくるフェーズへ。外へ向けて熱を放つ在り方から内側に取り込む在り方へとスイッチバックされます。

先日家の畑で作物を作っている友人が、夏の作物と秋の作物は性格が違う、というようなお話をしてくれたことが興味深く思い出されます。夏はぐんぐん上へ上へと伸びようとするので、朝にまだ小さかったなすはたった一日でお化けサイズになってしまう。一方、秋のなすは、数日かけてじっくりじっくりと育ち、実も味もぎゅっと引き締まるのだそうです。寒さが栄養やうまみを内側に閉じ込めるというお話をよく農家さんから聞くけれど、本当にそうなんだなと感じました。

どちらが良いというわけではなく、夏には夏の、秋には秋の在り方の良さがあり、植物とは本当に素直にそのことを体現してくれています。

さて、季節は秋です。私も、春から夏にかけてどんどん挑戦して、広げてみたことの熱量を一つ一つ丁寧に感じてみようと思います。冷たい外気に放たれる白い息を知覚するように。知覚するたびに、一年を通して取り組んできたことのエッセンスが凝縮されていく様を味わっていきます。

音響を作るようにじわじわと時には緻密に行動を変えてみています

春先、フランスから帰国してまもなく私たちはお引っ越しを控えていました。さらに海外半年滞在中、あらゆるものはレンタルで済ませ管理する物が極めて少ないという暮らしの快適さに目覚めた私たちは、帰国後むくむくと断捨離熱が高めていました。(・・主に私が。狂気なまでに 笑。)

「せっかくの新しいお家には古いものは持っていかない」と決めて、捨てながらお引っ越しする、その名も『すてっこし』というプロジェクトを思いついたのでした。

ちょうどその時友人が、過去に立ち上げた企画「断捨離マラソン」という毎日5分、60日間、家の中を一箇所ずつ断捨離していくというプロジェクトを参考に、おうちの中をお片付けするグループを作ってくれました。それにのっかってどどーんと家の中をお片付け。

物を捨てていく過程で感じたのは、私は今まで物の管理に必死になりすぎていて、家族や目の前の人の顔をみていなかったという事実でした。

結果論ですが、物を捨てる云々は単なるきっかけにすぎず、何を捨てるのか、何を持っていくのか、何を買い直すのか、夫と喧嘩をしながらも一つ一つ話し合えたことは本当に貴重な時間でした。

さて、今再び、春先の引っ越しの時に取り組んだ「すてっこし」をもう一度、というモチベーションが自分の中に立ち上がっています。

同じことをやるようだけど、勢いと流れに任せてパワフルに取り組んだ春先とは少しやり方が違ってくるのではと思っています。

引っ越しや断捨離マラソンを終えてもちょっとずつちょっとずつ物を捨てているので、今家の中には余分なものはそんなにありません。片付けもしやすくなって、毎日快適です。

すると不思議なもので、行動や動線、人間関係、データや当たり前に繰り返している癖など物ではないところへ意識が向くのです。

具体的には、キャリアの棚卸し、パソコンに溜め込んできたデータの整理、毎日の行動観察などを試みています。

すっきりした家の中とは対照的に、私の中の情報空間はなんだかとにかくパンパンで荒屋敷状態です(泣)。ラフ画レベルのものが完成されずに放置されいたり、ものすごく古いものと鮮度の高いものが互換性を確認されずに溜まり続けている破損しているとか・・そんな感じです。

あと空間を意識するようになってから、時間の使い方に敏感になってきました。

結婚を機にオンラインで仕事ができるスタイルに切り替えてから、ネットに触れる時間が格段に増えて、さらに、子供が生まれてからSNSで発信することが増えたのですが、ふと「惰性でやっているところがないだろうか。SNSをやっていなかったら私って何をしていたかな」なんて考えることがあります。追憶の中に消えてしまった本を読む時間だったり手紙を書く時間がなんだか懐かしくなっています。

そんなわけで、私の時間の中にどどんと大きく鎮座してしまっている「ネットの時間」「オンラインの時間」「いつも外と繋がっている時間」をちょっと考え直したいなと思っているのです。

行動やキャリアやデータや情報空間、そして時間。

これらはすぐに目に見えて捨てられるものではないと思っていて、イメージとしては全体のバランスをとりながらミキシングして音響を作るというような感じでしょうか。リバウンドしないように(もういや!と投げ出して振り出しに戻らないように)じわじわ変えていく感じです。出過ぎているところはボリュームを調整して下げて、もう少し聞きたいところはもう少しボリュームを上げてみる、というような感じ。・・地味です(笑)。

「えいや!」と変えることはやってきた。

自分が枯れ果てるまで全力投球で取り組むこともやってきた。

だけど、こういう取り組み方は生まれてこの方したことがなかったのでちょっと新鮮な毎日です。なんだか男っぽいやり方から急に女性的なやり方に意識転換するかのような・・。

なんだか違う人間として生きているようなゾワゾワ感と、でもどこか懐かしいようなフィット感を一緒に味わいながら。これが秋の陽気というもの、なのかもしれません。

だんだん寒くなって、温かいものを囲みたい季節となってきましたね。温かさも冷たさと同じように味わえる贅沢な秋。みなさまも素敵なひとときをお過ごしくださいませ。

*******

*******

生きていく場、暮らしの場、すべてがアトリエになりますように。いただいたサポートはアトリエ運営費として大事に活用させていただきます!