見出し画像

あの沈黙も、あなたからの贈り物。

心のなにか欠けたところ。
カッコつけて言えば、満ちていないところ。
書く時にいつもわたしはそんなパーツを
埋めようとしている。

埋めるってつまり、補填する直したいって
ことだけど。

なんでもガムテを張って修理する人が
かつて仕事仲間ににいたけれど。

その人が心病んだ時に、ここらへんも
ガムテで直せるといいのになって
つぶやいた。

ここらへんって、いいながらじぶんの
胸元を指さしていた。

ガムテで心が治るといい。

もしそうなったら、ガムテいっぱい売れる
だろうなってその時思った。

そしてわたしの心の欠けたところを
何が直しているかというと、
音楽かなって思う。

Spotifyが欠かせなくなってしまったので、
今も聞いている。

わたしはランダムで聞いているのだけど
1曲聞き終えた時2曲目に移る時の
一瞬の間がある。

人と人が会話しても一瞬無言になる時
あの「いま天使が通ったね」的な
あの時間のこと。

音楽用語でギャップっていうらしいけど。

あのギャップの時間がわたしは好きで、
ほんのつかのまの「静けさ」を聞くと
落ち着く。

わたしのヘビロテのプレイリスト。


曲が終わった後の、もうつかんでも
つかみきれないところへ、音が逃げて
しまって。

どこかへとまぎれてしまった時のあの
だまりこくった空間。

クラッシックの世界の評論を目にした時
あ、そういうことかって腑に落ちたこと
があった。

モーツアルトの曲を聞き終わったあとの
沈黙のことについて書かれていたの
だけれど。

沈黙は音楽から生まれるっていう文章を
目にした時、
あ! って虚をつかれた感じがした。

モーツアルトじゃなくてもわたしはきっと
そういう経験をしていたはずなのに。

沈黙って勝手にそこにあるものだと思って
いたわたしは、音楽がもたらしたさいごの
贈り物のような沈黙を,

はじめてのものに触れたときの手触りに、
驚いている感じで手繰り寄せるように、
想像していた。

音楽から生まれていたたしかな沈黙。

その静けさは、かならず演奏から生まれて
いるのかって思ったら、まだ見ぬ世界に
触れたような気持ちになった。

そして過去、身体でかんじたどうしよう
にも抜けられなかった沈黙について
思いだしていた。

あれは、
結局なにから生まれていたんだっけ、と。

ふたりで濃密な空間にいたときにがんじ
がらめの処置無しのふたりの行方が
わからなくて。

進むか退くかしかなかったけど。

その時、あの仕事仲間の彼が言っていた
ガムテがここにあればなぁって、
瞬間思った。

お互いのダメな部分にガムテを張り
つけて、治療を施せたらどんなに
いいだろうって。

あの時の静けさだって、音楽と一緒で。

いままで奏でられていた演奏があったから
うまれているように。

あの人がたくさんの言葉を尽くしてくれた
からこそ生まれた沈黙だったのだと。

好きだった人の会話は話していたことも
もちろん覚えているけれど。

静けさもふくめて、その人からの贈り物
だったのだと思えるようになった、
そんな春です。

座ってる ふたりのすきまに ルビ打ってみる
静けさが 生まれたせつな 宙になじんで    


この記事が参加している募集

自己紹介

noteの書き方

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊