『イノセント・ガーデン』救われたい、満たされたいと、つぶやきながら。
眠るとあまりよくない夢をみそうなとき、ついつい
見てしまった、
パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』。
もっと眠れなくなることは予感していた。
あのパク・チャヌク監督作品なのだから。
『オールド・ボーイ』でもひたすら心の奥をひっかき
まわしてくれた彼のハリウッド・デビュー作。
はじまりのシーンから、なにかがもうすでに起こって
しまった後のことを描いている、不穏な感じが伝わって
きて、胸騒ぎがする。
父親に溺愛された少女は、誕生日になるといつも、
靴をプレゼントされていた。
でも、18歳の誕生日は少し違っていた。
彼女の元に送られた来たのは「鍵」だけ。
そして彼女の誕生日に父親の急死が伝えられる。
家から2州も離れた場所での交通事故。
そして父親の死と同時に、今までみたこともない
叔父がとつぜん母(ニコール・キッドマン)と
娘(ミア・ワシコウスカ)の前に現れる。
しかも叔父はとても父に似ていたのだ。
不穏でしかないその不協和音、そのざらっと
した感覚が拒めないようなそんな空気感を
醸し出している。
メアリーでもスーザンでもないインディアと
いう名前の少女。
彼女は野生そのものの魅力を放っている。
そして、恐ろしいほどの五感の持ち主。
五感が研ぎ澄まされているということ、
繊細であるということは、日常のあらゆる
場所で支障をきたすことだろう。
でも映像美の中でうごめくインディアは
そんな「生きづらさ」も謳歌しているかの
ように見える。
痛々しいはずなのに清々しい。
少女の時代にしか持ち合わせていない特権とか
そんな安さじゃなくて。
天性のものなのかもしれない。
彼女があきらかにアンバランスな風情で
庭を歩いている。
普通の女の子のファッションのようにみえて、
どこかなにかがちがうのは、彼女が
<ママのブラウス>に<パパのベルトを締め>、
<叔父の贈り物の靴>を履いていたから。
彼女を形作っていたものそれは。
母との不仲、唯一の理解者だった亡き父、
端正でありながら不信感をまとった叔父を
身にまとうことなのだとわたしは思った。
彼女がしずかに踊るように語る。
「私は救われたい、満たされたい」とつぶやきながら
突然<スカートにも風が必要だ。私じゃないものが私を作る>
と告げる。
野生の知性みたいなものを携えているインディア。
たえずなにかに、違和を感じているから息苦しくて。
突然目の前に現れた叔父への不信感がありながら
惹かれてゆく息苦しさ。
これは彼女が野生の嗅覚でもって危険を知って
いるがゆえだからなのだろう。
インディアが持っているのは、あまりにも無垢な
野性性。
みているこっち側では、共感なんてちゃらっと
したものは越えて、ただただ息をころして
見守るしかなくなってしまう。
野生の動物たちの生息を観察する定点カメラで
みている世界だなって思う。
獣たちのひたむきさを内包した少女がすこし
まぶしい。
すべてのシーンを見終えた後。
はじまりのことばをもういちど、目でなぞる。
おわりとはじまりが円環していることを気づかせて
くれる。
そして私もどこか解放された気分になって、
風通しのよさを感じながらも、私たち観客が
観たのはひどい世界だったことを忘れて
しまうぐらい耽美な世界に引き込まれる。
<大人になると解き放たれるのだ>
というさいごの言葉に
立ち止まりたくなる。
おとなになってしまうとそんな日々はそんなに
多くないことを知っている私は、みえないくさびを
どこかに打たれたような思いに駆られた。
『イノセントガーデン』
一度観てしまえば、観なかったことには
ならないそんな映画だった。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊