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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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2021年5月の記事一覧

言葉のプレゼント

長く生きてきたが、あたしが為してきたことはそう多くはない。それでも、志したことはいくつかあった。

まあ、どれもモノになったとは言いがたく、中途半端なことばかり、叶わぬ夢ばかりなのだが。

そのなかのひとつは、作文を書くひとになりたいと思ったこと。それを自分で朗読したかった。これは雲をつかむようなものかもしれない。

そして、精神対話師というのになりたかった。実際に講習を受け、資格は取ったが、残念

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ぞくっとする。

ぞくっとする。

「大邊男」

これは人の名前である。姓は大辺、名は男。おおべ ますおと読む。俳優 大河内傳次郎の本名である。

Wikipediaにはこうある。

戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。サイレント期は、伊藤大輔監督・唐沢弘光撮影のトリオで『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。悲愴(ひそう

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「命とられるわけじゃなし」

「命とられる値段じゃないし、買うか」

といいながら、500円の小文袋を買ってくださったかたがいた。妙齢のおじさまだった。花粉症の薬を入れて車のなかに下げておくのだとか。

うかがえば、おじさまは山形出身のかたで、かの地ではさりげなくそういうのだそうだ。

「命とられるほどの」という物差しは、なかなかにすごいもんだ、と感心した。

年を取ってくると、どうにも、自分のなかでとんがってくるものがあって

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申し訳なさ

10年前に思ったこと。
そして今も思うこと。

*****

FUKUSHIMAのあのエリアにある
あの恐ろしい物質は
今も、これからもずっと長きにわたって
地球を汚し続けるだろう。

その地に住む日本人として
そのことを
世界のひとびと
地球のあらゆる生物にたいして
申し訳ない、と思っている。

何様のつもりでもない。
自分がその代表ではなくとも
その国の一員であるから
素直にそう思う。

ほん

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時の連凧

時の連凧

ある時、そう、まったく同じ時期に、ふたりの男性から「小説」が届いた。個人的に作られた冊子と同人誌。ひとりは年若い友人、いまひとりは人生の先輩だ。

年若い友人は、以前、浦安文学賞という公募で、あたしが小さな賞をいただいた時、瑞々しい感性の作品で、そのトップの賞を勝ち取ったひとで、年若いとはいえ、小説においては、はるか先をゆく先輩だった。

彼が7年間に書いた、7つの小説が並ぶ。

送られて来た冊子

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似顔絵描きの言葉

似顔絵描きの言葉

「あなた、あなたを探していたんですよ。
 会える日をずっと待っていたんですよ」

いつだったか、街中でそんな、セリフを聞いたことがある。横浜の桜木町だった。人通りの多い駅近くの路上で。

ちょっと太めであんまり垢抜けてないおじさんが、道を行くおんなの人を捕まえて、なんだか興奮して、まわりのひとを振りかえらせるほどの大きな声でその言葉を放った。
 

「あなた、あなたを探していたんですよ。
 会える

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思い出すこと〜手紙

思い出すこと〜手紙

その日、横浜へむかう京浜東北線にのると、車内は少々混みあっていた。つり革に手を伸ばしながらなにげなく座席に目をやると、前に座る女性が手紙を読んでいた。

20歳代後半か、あるいは、30歳をいくつかこえているかもしれない。地味な感じの装いだが、どこか世なれたような勝気そうな顔にみえる。

彼女は便箋を手にしているのだが、ひとところをずっとみつめていて、いっこうに読み進んでいかないようにみえた。

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白洲正子のカケラ〜お能〜

白洲正子のカケラ〜お能〜

実を言うと、白洲正子さんの「お能」は5週間近く抱えていた。

読み進めば進むほど、正子さんてすげえなあと思うし、決しておもしろくなくはないのだけれど、なかなか先へ進めない。

まるっきりの門外漢は用語の一つ一つに躓く。へーなるほどそういう世界なんだなあ、と思いつつも、実感が湧かない。わかったようなわからんような妙な感じで、また元にもどってみたりするから、いよいよ先へ進めない。
 
なにより文章のリ

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救われんな。

救われんな。

たとえば、世の中のことを好きと嫌いに分けてみる。「いやや!」と「ええなあ!」。

自分のなかの振り子は、いつだってその間をいったりきたりしているのだけれど、ここのところ「いやや!」の方に大きく振れて、なかなか戻ってこない。

学級委員とか生徒会役員とかPTA役員とか町内会役員とか、まあ、これまでの人生のなかで、そんなふうな役回りがよく回ってきたわけで、

それは自分の利益より全体の利益を考えるよう

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その庭で

その庭で

実家の庭に当たり前にあった木の名前を知らなかったということに驚いている。松があった。楓もあった。アオキもあった。躑躅に南天は覚えている。でもあとはみんな「緑の葉っぱの木」でしかなかった。

「あれはマキです」と教えられた木は、かつて庭の枝折り戸のそばにあった木だ。マキという名だったのだ。それじゃあ、そのほかの木はなんといったのだろう。それぞれに名前があったはずだ。まったく、何にも知らずに、うかうか

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そんな日のアーカイブ 毒杯

そんな日のアーカイブ 毒杯

人間ドッグのなにがいやって、あのバリウム。なんとも気持ち悪くて。その前に飲まされる発泡剤もいやで。うっ!

台にのって横を向いてごくごくとゆっくりと飲んでください、といわれて、野上弥生子さんが言ってた「地獄の飲み物」を口にする。

ああ、この姿はソクラテスが毒杯をあおった姿に似てはいまいか、

という弥生子さんの言葉を実感した。

で、台の上で、七転八倒。あっち向け、とまれ!もうちょっと左。いきと

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自分の能力に対する希望の誤断

自分の能力に対する希望の誤断

詩なんてものは、傑作であるか、さもなくば、全然存在してはならない。

最上のものを作る素質のないものは、芸術を断念し、その誘惑に対してまじめに警戒するようにすべきである。

もちろん、どんな人間にも、自分の見たものを模倣しようとする漠然(ばくぜん)とした欲望が働いている。

しかし、そういう欲望があるからといって、われわれの企てるものを達成する能力がわれわれにそなわっているという証拠にはならない。

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ああ、つらいね。

ああ、つらいね。

友人の嘆きを聞きながら、泣いた。情けないのだけれど、あたしはいつもこんなふうに泣いてしまう。

病気のこと、夫婦のこと、親兄弟のこと、いっしょうけんめい生きようとすればするほど、まっすぐであろうとすればするほど、このひとのこころは傷ついていくのだと肌で感じる。

長くともに生きた夫婦のあいだに、実はずっと潜んでいた深い深い亀裂が、ご主人の定年や介護の問題で浮かび上がってくる。

ああこんなひとだっ

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夕焼け

夕焼け

「夕焼け」という詩がある。吉野弘の作品。

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた
うつむいていた娘がたって
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが座った。
礼も言わずにとしよりは次の駅でおりた。
娘は座った。
別のとしよりが娘の前に
横合いから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずっ

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