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救われんな。

たとえば、世の中のことを好きと嫌いに分けてみる。「いやや!」と「ええなあ!」。

自分のなかの振り子は、いつだってその間をいったりきたりしているのだけれど、ここのところ「いやや!」の方に大きく振れて、なかなか戻ってこない。

学級委員とか生徒会役員とかPTA役員とか町内会役員とか、まあ、これまでの人生のなかで、そんなふうな役回りがよく回ってきたわけで、

それは自分の利益より全体の利益を考えるような立場にいやおうなく立たされてしまうわけで、

自分が嫌だなと思うことも、その立場でいやじゃないという顔をしなければ、事が進んでいかないわけで、

事が進まないことは自分の評判を下げることであるという計算がないわけでもないのだけれど、まあ、時に応じ、自分を殺してしまうことになる。

組織にいるということはおおむねそういうことなのかもしれないが、それをノーペイでやっていると、時に、救われない思いがするのである。

で、ふっと、気づくとにこにこしながら、こころのなかでは「きらいきらいあんたなんかだいきらい!」とか「いややいややものすごういやや」とか節操なく唱えていたりする。


それはもう、まったくききわけのない子どものように。

で、また、おとなの私はこれではいかん!と思う。そういうききわけのない人間も嫌いだぞ、と。

自分のことは好きでいたいから、いやいや、そうはいっても、それぞれに事情のあることだから、そこはそれ大人になって、好きにならんとね、とか無理して、律儀にそんなふうに思おうとする。

若いときはそれでいけたのだけれど、歳を重ねるごとに、非常にわがままになってきたせいか、どうもその律儀さが持続しない。

いや、そういう撓めかたも、なんだか胡散臭くて嫌だな、と思い始めてきたのかもしれない。

で、そういう目で世の中を眺めていると、やっぱりいやや!と思うことがそこここに溢れているのである。

なんでそんなこと言うんや!
なんでそう自慢ばっかりするんや!
なんで相手の立場を考えへんのや!
なんでいつも自分が正しいと思うんや!
なんでいつもひとの反対ばっかりするんや!
なんでじぶんだけは違うて思うんや!
なんでひとの揚げ足ばっかり取るんや!
……なんでや?


ほんまに、いややなあ。


もうひとつのふりこもある。

社会のなかで、自分をひとつの点だとして、その点には色がついていて、点はいっぱい集まって線や面になっていく。

みんなと同じ色の点だったら、自分がどこにいるのわからなくなってしまうから、ひとびとは、わたしはここにいるのよ!と叫ぶようにみんなとは違う色に自分を染める。

最初から、まわりのどの点とも色が違う孤独な点にとって、違うことでいつもいつもなにかにさらされている。

そのことにほとほと疲れてもしまい、同じ色の点が集まって線になって面になっていくところで、その安心感に自分も浸りたいと願う。

しかしそれはもともとの自分とは違う色に自分を染めるということになる。その違和感。

自分の振り子は「自分は違う」と「みんなとおんなじ」の間を行ったり来たりもしているのかもしれない。

片方に振れたとき、だんだん息苦しくなる。で、もう片方にいってもおなじことになる。

これもなんだか、救われない・・・。
つまりは、生きるのが下手くそなんだ。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️