bunbukuro(ぶんぶくろ)
文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
これまで食べた美味しいもの
古道具に寄せる言葉
新しい文袋のご紹介。
仕事と生業は違うのだと誰かが言っていた。まあ、そういうことらしいが、あたしは人生で定職についたことがないのでよくわからない。 22歳まで学生で、3月に卒業、5月に結婚。翌年母となり、その2年後には二児の母であり、以後専業主婦として暮らしていた。履歴書を書いたのは50歳を超えてから運動も兼ねてポスティングのアルバイトをしたその時、一回だけだった。 専業主婦という言葉には、のほほんと暮らしているイメージがあるが、どんな人生にも程度の差はあれ、山あり谷あり一筋縄でいかないものだ
「やっぱりおかあさんのカレーはうまいな」 そんな言葉のなかに あたしの人生があるんだろうな。
ナチュラルで手間暇かけた丁寧な暮らしをしているひとを尊敬する。 山菜や野草、果実や木の実を保存食にするだけでなく、そのうえ、添加物のないシャンプーや軟膏や化粧水を自然のものから手作りしてるなんて、凄すぎる!と感嘆する。 それらはみな身体に良いものであり、そういうことを日々実践していくことはいわば正義のようなものだ。 そんなかたに、あなたはまだ身体に悪いものを使ってるの?と問われると、なんだか悪党になったようないたたまれなさが湧いてくる。 そのうえ、これをお使いなさい、あれを
自虐はいけませんよ と注意されたことがある。 ふむ。そうなのかな。 自虐は時にこころないつっこみへの ディフェンスのプロテクターになるよ。 自分を守ることは大切なことだよ。 キャッチャーの胸をごらんなさいな。 卓越した自虐はいつか自慢になるよ。 DAZAIをごらんなさいな。
youtubeの耳掃除にハマっている。 脂漏性の耳垢は蝋のようになり、耳の壁に張り付き増殖し耳を塞ぐ。何年も放置されたそれは決して美しいものでなく、掃除は困難を極めるのだが、最後にスポンとサザエの壷焼きのように大物が抜ける瞬間がくる。その瞬間をまた見たくて……沼だ。やれやれ。
はぐれものはふびんだ。 仲間がうちそろって 同じであることに安堵する光景の横で ひとりでいることを噛み締める あたしはあたしよ!と胸を張り 同じでないことを誇りとするまでの それぞれの道のりがふびんなのだ。
4/21は伏見の味福さんというお店で 高校三年生の時のクラス会があった。 先生を入れて13人が参加した。 横浜や神戸、大阪から駆けつけた人もいた。 自分たちより14歳年上の先生のお誕生会でもあった。 おおらかで優しげな雰囲気は今も変わらない。 先生は先だっての書道展にも参加されており 水泳もなさっておられるそうで そんなお元気な様子にこちらが励まされる。 人生で一番愉快なクラスだったと思う。 学年全体がそうだったのかもしれないが 個性的なメンバーがたくさんいて その中で
その家は古い酒屋さんで、 その屋根には絵馬のような 色褪せた木製の看板があがっていた。 近寄ってみると アサヒビールと読めた。 良き時代の春には大勢の花見客が その店を訪れたにちがいない。 花街にも配達に行ってたかもしれない。 そんな店の前で通りかかった老女と この家のお内儀らしきひとが 親しげに談笑している。 笑いながら自分の足が衰え 天神さんの参道を歩くだけで 動けなくなってしまった、と話す老女に そこへ行くだけでもえらい!と お内儀は手を取って褒める。 自分は行
コーナンの配達のおじさんが運び入れた後 じゃ、ハンコか印鑑ください、と。 しばらくして ハハハ、サインでした、と。
青磁なるものをなんとか 日本でも作らんとした人々がいて 三田青磁ができたのだと知り この丁寧に金継ぎされたさまに 敬意のようなものを感じたりして。 いずれひとの手になるものには ものがたりがあるのだけれど 肩書きがかたるものよりも その物がかたるなにかのほうが よりこころに響く、かと。 ***** おじさまはいつも穏やかに話す。 元は教師だったのだとか。 優しい目をしている。 所狭しと並ぶ古道具を見ながら 好きが昂じてこんなことに、と 静かに笑う。 三田青磁の話も嬉しそ