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目覚めと解放の違いとは?!大和田菜穂「すでに愛の中にある」

目覚めと解放の違いとは?!大和田菜穂「すでに愛の中にある」

 目覚めは、個人、つまり幻想の「私」がいない瞬間、「全体」だけが残るということが起きる現象ですが、その後また「私」は帰ってきます。目覚めはある意味経験的で、その経験のあとに個人がそれを自分の経験として所有します。実際目覚めの経験をすると、それがあまりにもすばらしいので、たいてい幻想の「私」はまたその経験を取り戻したいと思います。(中略)
 解放が起きたときは、その経験を自分のものとして所有する人はもういないのです。解放とは、エネルギー的なシフトです。収縮した個人的なエネルギーが「全体」に解けて消えることです。「全体」だけが残ることです。                                           
 この二つの違いは、はるかに大きいです。目覚めは個人が経験しているものであり、解放にはその経験者がいません。目覚めの場合はその後も探求が続くため、それは完全な自由ではないのです。

本書より

 (ボクの注:解放について)そのときには、今まで探求していた存在というものが消えるので、誰もそのことを知り得る人はいません。

本書より

日本人初の、ノンデュアリティ(非二元)・スピーカー、大和田菜穂さんの、「すべては愛の中にある」を読んでいたら、なんと「目覚め」と「解放」が違うと書いてあった。

ポリドルフィンさんのは、目覚めだよね。

目覚めかもしれないし、解放ではないかもしれない。よくわかんないんだよねー。とりあえず、ようやく肩の荷がおりた、みたいな、安堵感は一応あるよ。

同じくノンデュアリティ・スピーカーの金森将さんも言ってたけれど、記憶が飛ぶっていうやつが、解放なんじゃないの?

大和田菜穂さんも、「「私」が数日間いなくなり」という体験をしたらしいけれど、これは目覚めだ、と書いているから、違うかもね。

解放は、誰にも知り得ないと書いてあるけれど・・・。

大和田菜穂さんの解放は、近所をぼーっと歩いているときになったって書いてあったから、自分で気づいているんだよね。なんだよー、自分で解放、気づいてんじゃん・・・。

まあ、文章にできない話を無理やり、言語化してるんだから、しょうがないんじゃない?

でも、目覚めと解放が違うというのは、しっかり書いてあるから、助かる。

でも、目覚めと解放が違うというのは、しっかり書いてあるから、助かる。

さすがは、日本人初の、ノンデュアリティ・スピーカーだね。

この前、雲黒斎さんが言っていたことと対比させるとわかりやすいかも?

どういうこと?

目覚めが雲黒斎さんのいう、「ノンデュアリティ」のステージで、解放が雲黒斎さんのいう「解脱」のステージだということ。

雲黒斎さんの表現のほうが、わかりやすい感じがする。

雲黒斎さんのいう、ノンデュアリティのステージとは、言ってみれば、空(くう)に馴染むステージで、解脱のステージとは、言ってみれば、空(くう)に帰るステージだ。

上の、大和田菜穂さんの文章と照らし合わせると、ちゃんと、対応しているような気がするよ。

今後このブログでは、「ノンデュアリティ」「解脱」という言葉を使うことにする。

今後このブログでは、雲黒斎さんにならって、「ノンデュアリティ」「解脱」という言葉を使うことにする。

ノンデュアリティ・スピーカーでも、解脱のステージまで行ってない人、結構居そう。

というわけで、ボクのいう、解脱のステージまで到達した、大和田菜穂さんの本は、信用できる。

大和田菜穂さんの場合は、活動の場が、ワールドワイドなんでしょ?

まさに、別格というか、スゴい人だよねぇ。このスゴい人の本を、この記事を読んでいるアナタも、買って読んでみてはいかが?

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