ハードボイルド書店員の「すべての始まり」になった一冊
来月13日に↓が出ます。
収録作は八篇。オススメをひとつ挙げるなら「女の決闘」でしょうか。斬新なものを書こうとしていた初期の太宰の意向に、中期に至って磨かれた技巧がようやく追いつき、生まれた前衛芸術です。
6月に発売された↓も気になって仕方ない。
処女短編集です。にもかかわらず「晩年」と名づけた事実が当時の苦境を物語っている。
多くの人がそうであるように、私が太宰に夢中になったきっかけは「人間失格」です。その前に「走れメロス」を読んでいますが何も感じなかった。メロスって勝手な奴だなと思ったぐらい。
「人間失格」も好きですが、よく考えたらそこまでではない。勤めていた営業会社がいきなり解散して色々と沈んでいた時期に出会い、励まされた印象の方が強いです。
数年前に村西とおるさんが「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ、俺がいる」という本を出しました。当時の私にとって太宰はまさにそういう存在。申し訳ないけど、人間を失格になった彼の姿を見て安堵したわけです。俺はここまでひどくないと。
新潮文庫を少しずつ集めました。そして「晩年」に収録された「逆行」を読み「俺のことが書かれてる!」と衝撃を受けたわけです。
「蝶蝶」「盗賊」「決闘」「くろんぼ」の四部構成。私がやられたのは二番目の「盗賊」です。
季節はおそらく春。舞台は大学の試験場で、語り手はフランス語のテストに挑んでいる。授業には一度も出ていない。落第確定。でも試験は受ける。「甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた」との理由で。
私も学生時代、ほとんど出席しなかった授業のテストにぶっつけ本番で臨んだことが何度もあります。通常は友人からノートを借りたり過去問を入手したりするけど、潔くないからしなかった。
いざ試験。語り手は何もわからない。では答案に何を書いたか? 続きは作品を読んでいただきたいのですが、太宰はこんな一文を忍び込ませています。
芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。
頭をガツンと叩かれました。それまでの認識では「小説家=芸術家」であり、つまらぬ生活とは無縁の至高職と捉えていたから。いずれ作家デビューし、退屈な日々とは永遠にお別れしようと考えていたから。
でもそうじゃなかった。小説を含むあらゆる芸術は、むしろつまらない生活と縁が深い。なぜならそれに耐えている人を楽しませるために存在するから。つまり、その頃の私が否定していたもののために働くことこそ作家の本分だと教わったわけです。
決して大袈裟ではなく「作家以外の仕事に就くこと」への嫌悪感が消えました。「面白い小説を書くためにつまらない生活に耐える覚悟を決めた」ともいえます。一年半の営業マン生活と太宰治が、社会人としてどうにか生きていけそうな道を示してくれたのです。
と同時に、彼もこの境地へ至るまでに相当苦しんだのだろう、それまでは私みたいに己を特別視し、諸々の市民生活を見下していたのだろうと感じました。
いまは書店員の仕事も日常も「つまらない」とは思いません。不条理な現実や理不尽な経験を創作の糧にしているから。その意味では、noteという表現の場及び読んでくださる皆さまの存在が大きい。感謝しています。
話を「逆行」へ戻しましょう。
答案を書き、語り手はさっさと立ち上がり、誰よりも早く会場を後にします。しずしずと部屋を出て、ひとりになった途端に転げ落ちるように階段を走る。私がかつてそうしたように。
初読の時は本当に他人とは思えませんでした。そしてすべてはここから始まったのです。
「すべての始まりは『逆行』でした」なんて書くと、気の利いた逆説を狙っているようで気恥ずかしい。でも実際そうだったのです。読む人を楽しませるために小説を創る。この姿勢は変わっていません。いまは「他者の前にまず自分」「己を救うために書く」を併せて心掛けています。
長くなりました。「晩年」と「逆行」ぜひ。
作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!