ハードボイルド書店員が「党議拘束」を嫌う理由
立憲民主党は執行役員の欠席を決定。でも野田さんは該当しないとのこと。
法的根拠がなく、議論もされず、16億円もの税金を投じながら国民大多数の同意すら得られていない国葬。私は反対です。ただ組織内の空気に流されず、個の意志を貫く姿勢にだけは敬意を表したい。弔意の強制ができないなら逆もまたしかり。
もうひとつ。いわゆる「党議拘束」が嫌いなのです(もちろん局面に応じて必要なのは理解しています)。
大学時代、インカレの国際交流サークルに在籍していました。毎年総会で代表選挙(立候補したひとりに対する信任 or 不信任を問うスタイル)をおこなうのですが、直前に他大学の重鎮がウチのミーティングに来まして。何を言うのかと思ったら「立候補する○○さんは最近調子に乗ってる」「奮起してもらうため、ギリギリで信任される形にしたい」と。
私は「○○さんに不満はないから信任」と考えていました。にもかかわらず不信任票を投じました。多くのメンバーがそうしたはず。それが組織のためと信じていたのです。
はたして○○さんはギリギリで信任。戸惑ってましたね。青ざめた顔で「この厳しい結果が皆さんの声なのでしっかり受け止めます」みたいなスピーチをしました。
いまでも覚えているぐらい後悔しています。
プロレスラー・三沢光晴さんが生前に語っていました。「人間誰しも生きていれば他人に嘘をつくことはある。でも自分に嘘をついたらずっと忘れないからね」
その通りでした。
だから政治家であれ何であれ、周りの雰囲気や偉い人に忖度せず、内なる声に正直な決断をしてほしい。自分もそうしたい。ちなみに↓によると、著者の在籍するれいわ新選組は「最終的には党議拘束せず、各自の言論の自由を確保する」運営を行っているそうです。
いま問われているのは、党ではなく個人の姿勢ではないでしょうか? 組織内の立ち位置や次の選挙がどうこうではなく、ひとりひとりの信念に基づいた「個の答え」を見たいです。
作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!