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ハードボイルド書店員日記【143】

「タービの本、ドコデスカ?」

夏休みが目前に迫った灼熱の土曜。親子連れと子どもたちの集団に加え、今年は外国人観光客も多い。品出しがひと段落してレジへ向かうと、問い合わせの人たちが殺到してくる。車から降りるや否やマイクを何本も向けられる不倫疑惑のタレントになった気分だ。

アジア系の女性ふたりを旅行ガイドの棚へ案内する。まさか足袋ではないだろう。ディズニーランド関連の書籍を手に取り、何か言いたげな表情。「タビ?」「イエス、カービ」もしや。コミックのコーナーへ誘導して「星のカービィ まんぷくプププ ファンタジー」10巻を手渡す。「オー、サンキュー!」ゲームの攻略本や角川つばさ文庫のシリーズも置いているが、とりあえず納得してくれた。

レジへ戻る。「すいません」今度は焦った様子の若い女性だ。「いらっしゃいませ」「子どもがその、お漏らしを。少しですが」「かしこまりました。清掃の人を呼びますので場所を教えていただけますか?」

該当スペースを三角コーンで囲む。やがて施設の清掃スタッフが来てくれた。親子は着替えを済ませ、律儀にまた戻ってくる。男の子は不満げだ。「ほら、ありがとうとごめんなさいは?」促されても俯くのみ。

「ご迷惑をお掛けしてすいません」「いえ」「頑張って我慢してたのに男の人がぶつかって来たんだ。それで、ちょっとだけ」横を向き、右の掌を固く握りしめる。「トイレもなかなか空かないし」エントランスを出てすぐのところだ。いまも列が伸びている。古い施設だからか中が狭く、個室もひとつしかない。「ぼくのせいじゃない」伏せた睫毛と声がかすかに震えている。

しゃがんで両肩に手を掛ける。「苦しい思いをさせてごめん。トイレが混んでいて入れなかったら、大人だって同じことになる。君は悪くないよ」パッと顔を上げる。「店員さんでも漏らす?」「絶対ないとは言い切れないな。夏はクーラーが強いし冬も寒い」「そうだよね! ここすごく寒いよ」一気に元気になった。「クーラーのせいだ。ぼくは悪くない!」「そうだね。ただ空調の温度を調整しているのは施設の人で、お店からは電話で要望を伝えるぐらいしかできないんだ」おそらく意味はわかっていない。だが頻りに頷いてニコニコしている。

翌日。昼まで2人体制。本社からひとりぐらい応援を寄越したらどうだろう。「待たせ過ぎだ」とぼやくお年寄りや「場所だけ教えて」と横から割り込む人は相変わらず。おかげで口調や態度がぞんざいになる。わかっていても制御できない。白状するとしたくない。

ようやく列が途切れた。「あ、昨日の店員さんだ!」気を取り直して相手の顔を見る。「いらっしゃいませ」例の男の子だ。お母さんもいる。「先日はありがとうございました」「いえ。トイレを増やしてくれって要望はずっと出てるんですが」「この子、お腹が弱くてよく……でもあんな風に言ってもらえたの初めてで、すごく嬉しかったみたいです」幼少時に似たような経験をした。だから彼の気持ちがなんとなく理解できたのだ。

「あれから『ぼく本屋さんになる!』って」マジか。「光栄です」「それで今日も買いに。漫画ですけど」カウンター上に荒木飛呂彦「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の新書版が置かれた。「面白いですよ」「映画を見たら、私もこの子も夢中に」「ぼく漫画家になる!」飛び上がって叫ぶ。「あら本屋さんは?」「本屋さんにもなる!」「いいと思います。漫画家を目指して作品を描きながら本屋で働く同僚がいました」そしてあなた方の目の前にいるのは作家志望の書店員だ。

「でもおじいちゃんに怒られたんだ。無理に決まってるって」お父さんじゃなくて? 色々ありそうだが触れなかった。「そうか」「いい大学に入っていい会社に行け、俺の言う通りにすれば間違いないって」唇を尖らせる。「おじいちゃんはあなたのことを心配してるのよ」「でも」「もし岸辺露伴なら」ふたりともこちらを見る。「もし岸辺露伴が同じことを言われたら、きっとこう返すよ」

「ジョジョの奇妙な冒険」41巻の名シーンを思い出す。

「だが断る」
「この岸辺露伴が最も好きな事のひとつは、自分で強いと思ってるやつに『NO』と断ってやる事だ」

男の子は大喜びし、41巻も一緒に買ってくれた。「ナツコミ」特典のステッカーは「るろうに剣心」と「キングダム」を選んだ。わかってるじゃないか。応援の意を込めてレジ袋をサービス。お母さんはひどく恐縮していた。こちらこそありがとう。あなた方のおかげで穏やかな感情を取り戻せた。

君の本が出たら教えてくれ。必ず棚に置く。いつか外国人観光客が「ドコデスカ」と買いに来るはずだ。

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!