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何度も読んだのに読めていなかった「三島由紀夫」

「『金閣寺』とは、どういう内容の小説か?」

先日、同僚が外国人のお客様からこんなお問い合わせをいただきました。レジを打ちつつ様子を見ていたのですが、残念ながらうまく答えられなかったそうです。

たしかに難しい。「金閣寺」を読んで内容を知っていて、しかも日本語でOKだったとしてもすぐには出てきません。ましてや英語では。

同じ三島でも、たとえば「豊饒の海」だったら、なんとなく即興で説明できる気がします。「時代や性別、国境を超えてリンカネーションするフォー・ストーリーズ」「最初の『春の雪』は、ノーブルな若い男女の悲しいラブストーリー」「彼や彼女のフレンドがのちに弁護士となり、転生したかつての友だと信じられる若者に出会い、見守る」云々。

さらに「ブックフォーのファイナルチャプターを書いた後、三島は市ヶ谷で自衛隊に向けてスピーチをし、切腹した」と伝えた方がいいかもしれない。その事実を知ったうえで「天人五衰」のラストを読むと、著者の哀しみが聞こえてくるようで切なくなるのです。

「仮面の告白」や「潮騒」も、細部のニュアンスを無視した大雑把な切り口であればどうにか説明できなくはない。ただ「金閣寺」は違う。平易な言い回しに置き換えてはいけないなにかを感じるのです。

「美の絶頂をそのままの状態で永遠とするために、主人公は金閣寺に火をつけた」「それは美の支配から自由になるためでもあった」みたいな言い方ならできる。でもそんな単純な話ではないはず。

同僚の様子を見てこのnoteを書き、痛感しました。「あ、俺まだ『金閣寺』を読めてない」と。何度読了していようが消化していない、ざるに水を注ぐように文字の群れを目から後頭部へ通過させただけだったと。

いいキッカケをいただきました。また読みます。

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