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ハードボイルド書店員日記【107】

「この本、取り寄せできないかな?」

薄手のパーカーだと首が冷える週末の朝。気温が上がれば混むとわかっている。せめて昼までは静かに過ごしたい。罪深き願いを欠伸と共に噛み殺し、青年コミック用のカバーを折る。

お問い合わせに現れたのは年配の男性。降り積もる白雪が圧倒的優勢とはいえ、土壌そのものはまだ豊かで眉も濃い。年季の入った単行本を手渡された。表紙に「新鋭詩人シリーズ3 正津勉」とある。版元は思潮社。詩の出版で有名なところだ。背表紙の下に図書館のラベルは付いていない。裏返す。本を識別するISBNが印刷されていない。バーコードも。

注文は不可能だ。経験でわかる。しかしこういうお客さんこそ大事にしたい。

応援を呼んでレジに入ってもらい、サービスカウンターへの移動をお願いした。

「やっぱり難しいですかね?」「ええ」「これじゃなくても同じ人の詩集ならどれでもいいよ」「かしこまりました」週末だから出版社は休みだ。電話で訊くことはできない。ホームページで著者検索をかける。二冊出てきた。「現代詩文庫 77巻 正津勉詩集」の横に「品切重版検討中」の赤字が付されている。もう一冊は「遊山」。これも詩集のようだ。関係各所のデータを調べる限り絶版の可能性が高い。

「古書でしたらアマゾンには」パソコンのモニターを動かして見せた。412円で入手できる。なお発行は1978年らしい。40年以上前の新鋭詩人。「できたら古本じゃない方がいいんだよねえ。ネットで買うと届くまでどんな状態かわからないから」たしかに。「友人へのプレゼントなんだ。この詩人のファンらしくて」無茶な頼みなのは承知してるけど、という遠慮が伏せた視線から冷たい空気を伝ってくる。

「プロなんだからどうにかしろよ」と居丈高に迫ってこられたら話は簡単だ。「お役に立てなくて申し訳ございません」の一辺倒ですり抜ける。2年前の春、ドラッグストアの従業員がマスクを買いに押し寄せた人々に対して抱いた気持ちを耐え忍べばいい。

だが彼は違う。

「正津さんの他の本でしたら、取り寄せのできそうなものもございますが」「詩集じゃないでしょ。新書とか伝記」その通りだ。他の書店でも同じことを言われたのだろう。「あとは……バーゲンブックですね」「バーゲンブック?」先週もこんな会話を繰り広げた気がする。「少し前まで当店でフェアをやっていたのですが、いわゆる自由価格本です。出版社の意思で定価販売ではなく割引が可能になった本のことで」「古本じゃないの?」「古いものが多いのは事実ですが、どれも未使用の新刊本です」「……ああなるほどね」ややこしい表現をしたが理解してくれたようだ。

「そういうのはどこで買えるの?」「大きな書店で不定期にフェアを開催しています。あと専用コーナーを置いているお店もございます。在庫の内容までは調べられませんが」常設している店の名前をいくつか教えた。「時間がある時に覗いてみるよ。見つからなかったらこの本を贈ろうかな。本当は手離したくないけど」彼もまた40年来のファンなのだ。とっさに言葉が出ない。「……出会えることを祈っています」「親切にいろいろ調べてくれてありがとう。あると信じて行ってみるよ」あ、そうそうと本の後方のページを丁寧にめくる。

こう書かれていた。「キリロフがスタヴローギンについて言ってるらしいよ。奴さんたら『信じているときには、信じていることを信じない。信じていないときにも、信じていないことを信じない』とさ」

「これ、元になった小説が何だかわかる?」「ドストエフスキー『悪霊』です」手を叩くしぐさをしてくれた。「それだよ。思い出した。さすが詳しいね」「たまたま愛読書でした」「久し振りに読もうと思ったら家の本棚に見当たらなくてさ。できたら新潮文庫がいいんだけど、ここに置いてるかな?」「上巻と下巻がございますが」「とりあえず上巻だけ」「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

カバーを掛けて手渡す。満足そうに帰ってくれた。次にバーゲンブックフェアを開催する際は店長に話してみよう。できるかどうかはわからないが「正津勉という人の書いた詩集があったらぜひ入れてください」と。

可能性はゼロではない。信じていることを信じる。

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