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ハードボイルド書店員日記【194】

<20歳と84歳>

「宇佐見りんの『かか』はありますか?」
「ございます」
大学生らしき小柄な女性。ビジネス書のエリアで声を掛けられた。河出文庫の棚へ移動し、くだんの本を抜き出す。1999年生まれの著者は本作で2019年の文藝賞を受賞し、デビューを果たした。
「あの、もうひとつ」
「何でしょう?」
「この人の『推し、燃ゆ』を好きな子が気に入ってくれそうな本、もしご存知でしたら」
「小説ですか?」
「どんなジャンルでも」
考える。

詩集のコーナーへ向かった。谷川俊太郎「あたしとあなた」(ナナロク社)を手渡す。受け取った瞬間、目元が綻んだ。
「あ、何か楽しい」
「手触りがいいですよね。ブックデザインを担当した名久井直子さんは、石川製紙さんという会社に、この本のためだけの紙を作ってもらったとか」
「へえ」
「40ページを」
収められた「他人」を読んでもらう。こんな文章が記されている。

世界中の人があなたを知っているつもり
会ったことなくても
話したことなくても
好きだったり 嫌いだったり

あたしの人生はあたしが決めるけど
あなたもちょっぴり あたしを決める

「あたしとあなた」谷川俊太郎 ナナロク社 40P~42P 

他の作品にも見入る。
「……すいません、もう一冊ありますか?」
棚下のストッカーを開ける。ない。知っていた。
「申し訳ございません」
「注文できますか?」
「できます」
「これは今日買います。『かか』と一緒に」
「よろしければラッピングを承りますが」
整えられた眉をひそめ、しばし首を捻る。
「……では『かか』だけ包装を」
脳の指令を待たずに口が独断専行。そんなはずはない。しかし出てきた言葉が示す心の本音に驚いているようだ。何も悪くない。友達は大切。だからこそまず己を喜ばせる。誰かを楽しませる余裕はそこからだ。
「伝票を作成します。こちらのサービスカウンターへ」
歩きながらふと気になり、最後のページを確かめた。発売は2015年。当時の谷川さんは84歳。詩集を持つ指がかすかに震えた。頭が自覚する衝撃を数秒前にフラゲしたように。

<都知事選フェア>

「これ小説でしょ?」
万引き防止のための巡回時間。声掛けをしながらエントランスで展開している「東京都知事選2024フェア」の前を歩く。もう少し続けるらしい。
年配の男性に呼び止められた。右手で杖を突き、左手の人差し指で安野貴博「サーキット・スイッチャ―」(ハヤカワ文庫)をポイントしている。
「そうです。車の完全自動運転が普及した近未来が舞台のSFで」
「おかしいよ」
「はい?」
「そんなの選挙とは関係ない」
「著者が立候補していたのはご存知ですよね?」
顔に戸惑いが浮かび、すぐ憤りの赤で塗り潰される。
「だとしても、SFなんか読んだって参考にならない。政治について書いた本を集めなきゃ」
「私は参考になりました」
「どの辺が?」
「317ページを」
そこにはこんな「問い」が記されている。

社会的に「正しい」方法で自分の大切なものが奪われたとき、ひとはどのように納得すればよいのだろうか。

「サーキット・スイッチャー」安野貴博 ハヤカワ文庫 317P

「さっぱりわからんね」
「法で定められた正しい手続きに従い、選挙で多数から支持された政治家の政策がおこなわれ、その結果として暮らしが苦しくなった人はどうしたらいいか。そういうことかと」
「どうすればいいの?」
「答えがわかっていれば誰でも実行できます。そこを考えるのが政治家の、そして有権者である私たちの使命だと私は受け止めました。おそらく著者も同じ考えを抱いている。正しいとされている諸々の陰で世の流れに付いていけず、苦しむ人たちの存在に目を向けている。マニフェストでも『テクノロジーで誰も取り残さない東京へ』を掲げていました」

納得してくれただろうか。

私は最低時給で働くイチ非正規書店員だ。知った風なことを言えるほど博識でも経験豊富でもない。しかしかつて書店は文化の最先端と呼ばれていた。いまは状況が異なるとしても、テレビやネットの流行を後追いするだけではただの「書籍売り場」でしかない。

書店員には本を読む力のある人が多い。ならば、それを活かして「多数派ではないかもしれないけど、こんな考え方もありますよ」「こんな人がいますよ」を発信する。そうすれば自分たちの働き場を守ることに繋がり、少なからず公のためにもなる。この両輪を忘れたくないのだ。

本屋にできることは、まだある。

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!