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ハードボイルド書店員日記【127】

「ぶっちゃけ図書カードって、もらっても嬉しくないですよね?」

もはや冬ではない3月上旬の平日。毎年恒例だが図書カードの大量注文が相次いでいる。50枚とか100枚を1枚ずつ包装していくのは相当手間だ。時間もかかる。その割にさほど利益にならない。

間もなく17時。事務所の会議用スペースでアルバイトの男性と向かい合って座る。机の隅でピーターラビットの1000円図書カードと台紙、そしてレインボーカラーの包装紙が一大要塞を築いている。明日の昼まで。断ればいいのに店長が受けた。本人は逃げるように銀行へ行った。遅番は早番以上に人手が足りず、明日の朝も荷物は膨大だ。いましかない。

マシンになったつもりで手を動かす。「俺はけっこう本を買うから嬉しいよ」「僕は子どもの頃、親戚がくれるたびに『またか』って思いました」「そうか」「母は『マンガ以外にしなさい』って言ったけど『ワンピース』とか『ナルト』を。他に欲しい本ないし」それが実態かもしれない。

「たぶん本が好きな人は少数派だし、商品券やクオカードの方が喜ばれる気がします」某プロレスラーも「ファンのプレゼントでいちばんありがたいのはクオカード」と著書に書いていた。「たしかに本に苦手意識を抱く子が図書カードを贈られたら、読書を押し付けられたように感じるかもしれない」「でしょ? もらう側の気持ちを想像しないと。こうして包装する我々のことも。先輩は残業を強いられ、僕は休憩に行けない」「俺は別にいい」「よくないですよ。もう世の中は令和だし、こんな昭和のシステムはそろそろ」極論。一理ある気もする。

ようやく30枚。大坂の陣にたとえるなら外堀を埋めたぐらいか。「もらった図書カードでどういう本買うんですか?」「いま?」「どっちでも」「そうだなあ……中学の入学祝でちくま学芸文庫『正史三国志』の5巻を」「中学生でそれはさすがっすね」「もうカバーが破れてボロボロだよ」「でもなんで5? あ、そうか。1から4は購入済みで」「いや」「いきなり5すか?」「蜀の劉備が好きだった。全8巻で蜀書は5巻だけだからまず」

首を捻られた。「曹操派じゃないんですか?」「彼もいい。『三国志演義』の正義の味方っぽくデフォルメされた劉備には虫唾が走る」「実像はだいぶ違いますよね。短気で要領が悪くて、でも漢気があって人に慕われる」よくわかってるじゃないか。「先輩みたいな子どもばかりなら、親戚も図書カードを贈る甲斐がありますね」「俺みたいな子どもばかりなら日本の未来は真っ暗だよ」「あはは。たしかに」

腹が鳴る。まだ二の丸の埋め立てが始まったぐらい。「なんか『正史』の5巻で印象に残ってることあります?」記憶の引き出しを探る。「28ページぐらいにこんな記述が」

「劉備は外に対しては暴徒の侵入を防ぎ、内に対しては経済上の恩恵を充分に与えた」
「身分の低い士人に対しても必ず席をいっしょにして坐り、同じ食器で食をとってより好みをしなかった」

「なるほど。貧しい生まれだからこそ、名を挙げた後でも僕らに近い目線を持ち続けていたと」「少なくともかつての己と同じ境遇に耐える人びとを見下すことはしなかった」「いいっすね。政治家としても庶民の求めることを実行しているし」「だな」「いまは親の七光りにあぐらをかく袁紹みたいなやつばかりですから」「それは失礼だ」「どちらに?」「袁紹に」

天才軍師として名高い諸葛孔明の話でこんなことも書かれていた。146ページだった気がする。

「諸葛亮の才能は、軍隊の統治には長じておりましたが、奇策の点で劣り、人民を統治する才幹のほうが将軍としての才略よりすぐれておりました」

「意外ですね。軍師よりも内政向きだったのかな」「おそらく」「小説とかマンガの孔明しか知らないと、未来を見通すスーパーマンに見えますよね」「『正史』のおかげで早いうちに実態を学べた」「イコール図書カードのおかげ?」「だな」

ついに本丸へ火を放った。「もうひとつ劉備の長所を知っている」「何です?」「人を信じるところだ」「孔明を疑わず、国の行く末を託しましたよね」「だから俺もおまえを信じる」「えっ?」「今後俺が図書カードの一括包装を受けたら手伝ってくれると。もちろん休憩時間を奪ったりはしない」

落城。しばし余韻に浸る。「…図書カードをもらう中に先輩みたいな人がいるなら」「いくらでもいる」「だといいですね」「金庫には俺が入れておこう」「ありがとうございます。助かりました」彼に悪態を吐かせるのは会社だ。お客さんではない。ただできれば20枚を超える包装は期日に余裕を持って予約してほしい。

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