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ハードボイルド書店員日記【121】

「『ぼっち・ざ・ろっく』ありますか?」

記録的な寒気が続く平日。昼過ぎになっても店は閑散としている。最初の緊急事態宣言が出た後のJR渋谷駅周辺が頭に浮かんだ。

荷物を出し終え、版元から直で入荷した本の返品を作る。ハンディターミナルでISBNを読み込み、冊数を入力し、ダンボールへ詰める。誰が担当というわけでもない。誰もやらないからやっている。平常運転。

箱をひとつ閉じたところで声を掛けられた。若い男性だ。黒のショートボブに同色のMA-1とマスク。後ろ髪が上からピアノ線で吊られたように奇抜な角度へ跳ねている。「申し訳ございません、ただいま品切れで次はいつ入荷するか」女子高生のバンドを扱った漫画だ。先月まで放送されていたアニメで人気が爆発したらしい。

名残惜しそうにフロアへ視線を落とす。「じゃあロックに関する本は?」「ご案内します」このパターンは初めてだ。

「こちらでございます」「あの」「はい」「店員さんはその、ロック聴きますか?」顔を見た。浅黒い頬が赤みを帯びている。「いきなりスイマセン。どれから聴けばいいかわからなくて。やっぱりビートルズですか?」ここはタワーレコードではない。だが気持ちはわからなくもない。「ビートルズの場合、曲よりもメンバーの生き方がロックな気がします。私のオススメはドアーズ。あとはオアシスとニル…」「ビートルズ、どのアルバムがいいですか?」質問はするけど答えはスルー。これだからZ世代は、などと眉を顰める気はない。かつて団塊やロスジェネに同じタイプがいた。私にも似たような一面はある。

「『ラバー・ソウル』でしょうか」「ありがとうございます。何かそういう本ないですか?」「そういう本?」「ビートルズについて学べる」目の前の棚を素早く見渡した。何もない。せっかく寒い中お客さんが足を運んでくれても、これではハロー・グッバイだ。担当にヘルプと叫びたいが、ひとりぼっちのあいつはレジで忙しそう。まあいい。なすがままに。

「ビートルズの本はありませんが『ラバー・ソウル』に関連する小説なら」「どれですか?」文春文庫のコーナーで村上春樹「女のいない男たち」を手渡す。「あ、映画の」「ええ。原作になった『ドライブ・マイ・カー』は『ラバー・ソウル』の1曲目と同じタイトルです」「内容も一緒ですか?」少し考えた。「それはご自身で判断されるのがよろしいかと」首を傾げている。

「あとこちらも」講談社文庫の棚から、同じく村上春樹「ノルウェイの森」上巻を抜き出す。「この題の曲は『ドライブ・マイ・カー』の次に収録されています」「つまり『ラバー・ソウル』の2曲目?」「そうです」何が訊きたいかはわかる。内容は異なる。だが通底する要素がないとも言い切れない。おそらく言い切っても誤りにはならない。しかし関連性はゼロと一刀両断できるなら、春樹氏はわざわざその題を付けなかっただろう。極上のワインは己の五感で堪能してこそ。味わいは教わるのではなく味わうものだ。

「面白そうだけど、どちらもロックの本じゃないですよね」「申し訳ございません」知ってた。サービスカウンターへ誘導する。「お取り寄せになりますが、こちらはいかがでしょう?」シンコーミュージック・エンタテイメントから出ている「ロックの名言」のデータを見せた。「出版は2010年。翌年に第2弾が」「読んだんですか?」「ええ」「店員さんの好きな名言は?」いい質問だ。即座に返す。

「人生は一本の縦線、横線じゃないし、人には内面の世界があって、そこは整頓されていない。だからこそ音楽やノイズは重要で美しいの」

「誰が言ったんですか?」「パティ・スミス。巷ではクイーン・オブ・パンクと」「他には?」ガツガツしないでもう少し噛み締めろ。記憶の底を掘り起こす。

「『音楽で世界を変えることはできない』と言っている自分がいる。でも曲を書くたびに、もうひとりの自分が『でも世界を変えたい』と言ってるんだ」

途端に目が輝く。「それは誰が」「買ってからのお楽しみ、ということでどうでしょう?」客注になった。さらに文庫を買ってもらえた。あなた方のおかげだ。今度iTunesでダウンロードするよ。

書店員や物書きも彼らと似ている。本で世界を変えることはできない。でも良書を仕入れるたびに、拙い創作を仕上げるたびに、もうひとりの自分が「何もできないわけじゃない」と言っている。では何ができる? 本もロックも答えは教えてくれない。ただ問いを提示し、己の答えを探す旅に出る背中を押すのみ。

「世界を変えたい」という意志に基づく行動。それこそが答えの始まりなのかもしれない。

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