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神奈川のこと

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#西鎌倉小学校

【神奈川のこと97】行きつけの酒場(藤沢駅南口/スケアクロウ)

【神奈川のこと97】行きつけの酒場(藤沢駅南口/スケアクロウ)

ああ、3年半ぶりに訪れた。

よって、これを書く。

平成29年(2017年)から3年間、みっちり通ったバー。その名は「スケアクロウ」。

藤沢駅南口を出て徒歩2分、江ノ電の藤沢駅やカトリック藤沢教会のある界隈。ビルの階段を地下に降りれば、その奥まった木製のドアの先に、めくるめくスケアクロウの世界は広がっている。

粋なマスター。そして、カウンターの中でマスターを手伝う女性たちの個性が楽しい。やっ

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【神奈川のこと80】二人の少年(北アイルランド ベルファスト~鎌倉市材木座)

【神奈川のこと80】二人の少年(北アイルランド ベルファスト~鎌倉市材木座)

二人の印象的な少年について書く。

kino cinema横浜みなとみらいで、映画「ベルファスト」を観た。

1960年代後半に起きたプロテスタントとカトリックの対立、北アイルランド紛争下におけるストーリー。

主人公の少年、バディがとても良かった。

家はプロテスタントだが、バディにとってはプロテスタントもカトリックも関係なかった。

家族、親戚、友達、近所の大人たちに囲まれて毎日を夢中で生きる

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【神奈川のこと77】クリエイティビティの爆発だ =後編=(鎌倉市/西鎌倉小学校)

前編からの続き、つまり後編を書く。

昭和55年(1980年)、鎌倉市立西鎌倉小学校4年1組の時。
あの1年間は、忍野八海のごとく、クリエイティビティが湧き出し続けた。

ここでは、そのいくつかを記す。

<漫画家>
「ボク、ザエモン」というキャラクターを編み出して、クラスの新聞に四コマ漫画として掲載。藤子不二雄と長谷川町子から影響を受けた作品だ。
<編曲家>
クラス図書に「おさじさん」という絵本

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【神奈川のこと76】クリエイティビティの爆発だ =前編=(鎌倉市/西鎌倉小学校)

創意工夫という言葉が嫌いである。
苦手と言った方がしっくりくるか。

よってこれを書く。

仕事などで「工夫がない」とか「工夫しろ」とか言われることがある。
ほんと嫌になる。
そう言われると余計にやる気がなくなる。
布団乾燥機をかけて、温かくなったベッドにもぐりこんでふて寝をしたくなる。
または、JR鶴見線に乗って海沿いの工業地帯を走り、ひとけの無い駅に降り立って、たそがれたくなる。
しまいにはワ

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【神奈川のこと70】名犬レオ(鎌倉市/ユーコープ西鎌倉店)

【神奈川のこと70】名犬レオ(鎌倉市/ユーコープ西鎌倉店)

友達が18年半共に過ごした愛犬を、先日亡くした。

よって、これを書く。

昭和53年(1978年)、西鎌倉小学校2年4組に転校してまだ日の浅い、5月か6月のことだった。

夕方、近所の生協(現ユーコープ西鎌倉店)に母と弟と買い物に行った。

生協の会員証が、青いメダルだった時代。

生協の店先に花屋があり(現在もある)、そこに一匹の子犬が繋がれていた。

顔見知りの店員が、「朝からずっと繋がれて

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【神奈川のこと68】ザ・モンキーズ(鎌倉市/西鎌倉小学校)

【神奈川のこと68】ザ・モンキーズ(鎌倉市/西鎌倉小学校)

昨晩、動画サイトで久しぶりにモンキーズを聴いた。

素敵な曲がたくさんあるなと、あらためて感じた。

よってこれを書く。

あれは、昭和55年(1980年)、西鎌倉小学校4年生の頃であった。

写真フィルムメーカ、コダックのTVCMでかかっていたBGMに心奪われた。

それは、モンキーズのデイドリーム・ビリーバーであった。

同時に、テレビでモンキーズ・ショーの再放送が始まった。これがまた何と面白

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【神奈川のこと66】西鎌倉リトルリーグ(鎌倉市手広/クローバー畑)

【神奈川のこと66】西鎌倉リトルリーグ(鎌倉市手広/クローバー畑)

昭和54年(1979年)、小学校3年で入団した西鎌倉リトルリーグ。

そこでもらった背番号は66だった。

以来、中学校1年の夏に卒団するまでずっと66。

よって、これを書く。

小学校2年生の時、日曜になるとよく、近所にあったスーパーマーケットの西友とその隣の西武不動産の前の道を、タジミ監督率いる西鎌倉リトルリーグの選手たちが走っていた。つまり現在のローソンとバーミヤンの前の道である。

自分

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【神奈川のこと39】アリキック!(東神奈川 or 反町?/神奈川スケートリンク)

かつての「神奈川スケートリンク」が、老朽化に伴い建て替えられ、2015年より「横浜銀行アイスアリーナ」となった。

それは、JRに乗っていると、東神奈川駅を横浜駅方面に向かって過ぎた頃、右手に見えてくる。公園が隣接している。反町(たんまち)公園というらしい。

地図で見れば、JR東神奈川駅からも、東急東横線の反町駅からも同じぐらいの近さである。

私にとってあの建物は、「東神奈川」の象徴的な存在で

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【神奈川のこと38】初恋はラッタッタに乗って(鎌倉市手広⇔津)

先週書くつもりだったが、所用で書けず。

バレンタインデーなので、初恋の話を。

昭和53年(1978年)4月、横浜のセント・ジョセフ・インターナショナルスクールから、鎌倉市立西鎌倉小学校に転校。

クラスは2年4組。

朝、図工教室に転校生とそのお母さんたちが集められた。同じクラスとなる亀ちゃんも一緒だ。彼は確か、タイ王国からの帰国子女だった。

ひとしきり説明を受け、担任の伊藤幸子先生に連れら

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【神奈川のこと36】大人の階段、一段目(鎌倉市/西鎌倉小学校)

冷たい雨の日曜日。静かに家で過ごすと心に決め、これを書く。

あれは昭和55年(1980年)、西鎌倉小学校4年1組の時だ。

2時間目が終わると、「20分休み」がある。

雨天でもない限り、そして、「チェ―リング」が大流行した一時期を除けば、大概は校庭に出てドッジボールなどをして遊んだ。

ある日の20分休み、当時、学年で一番のやんちゃ坊主であったひろきと、何かのきっかけで、一触即発の緊張状態にな

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【神奈川のこと26】日本の学校には行きたくない!(横浜市中区根岸旭台)

今日は、5年前に亡くなった母の誕生日なので、このことを書く。私が、母を最も困らせたであろう出来事の一つである。

昭和51年(1976年)9月に、父の母校である山手のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(センジョ)に入学した。

私は友達も出来て楽しく通っていたし、両親の教育方針で入ったわけだが、しばらくして、母はどうもその教育環境に疑問を持ったようだ。

父が通っていた1950年代と、私

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