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トマトが行方不明です《頭の悪いレシピを140字で+ 2》

レタスをちぎって、トマトを切って、好きなお皿に盛り付けてサラダにしといてと子どもに言いつけて、私は買い物へ。帰ってくると、器にレタスがやま盛りに。さてこそ、赤いトマトはいずこ。答えは、まさかのレタスの下。まあ、自分で食べてみて、この盛り付けはないなとわかってくれたらそれでいいか。

 

《頭の悪いレシピを140字で》のマガジンもあります。

 

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 信じられないかもしれませんが、実話です。

 いや、こういう椿事が起こるのが、たぶん子育ての醍醐味なんですって!

 うちの子は女子のくせにあまり料理に興味を示さなくて(うぉっ!ばりばりなジェンダー有りーな発言!)、お手伝いもなかなかやってくれません。
 それでも、五百蔵がサラダを作るよこで、レタスをバリバリさせたり、器を選ばせたり、ちょこちょこ盛り付けさせたりしていたので、ひとりでやらせても大丈夫だと思ってまかせてみたのですが、このていたらくでした……。

 

 それでふと思うのが、一を聞いて十を知る、ということわざ。

 サラダを作りなさい

 と、たったひとことだけ大ざっぱに指示するのは、レシピとしてはかなり頭が悪い部類に入りそうですが、この「サラダを作りなさい」というたったひとことの指示のなかには、ものすごく膨大な情報が詰まっていたようです。
 そのひとことからどれだけの量の情報をくみ取り、取捨選択して実行できるか。もしくは、あまり頭を使わなくていいように、黄金パターンを持っているか。

 そう考えると、レシピの頭が悪いほど、人間の方が頭が良くないといけないようです。

 

 すくなくともうちの子どもは、「盛り付けはトマトが上、だって食べやすいから」とか「赤いものが上のほうがキレイで美味しそう」という情報がそもそも頭になかったか、頭にはあったとしても、盛り付け段階で引っ張り出して適切に活用できなかったようです。
 ていうか、活用する気がなかったんじゃないか?って疑いすらある。

 うわっ。頭ワルっ!

 しかも、だいたいの手順とか思考パターンが目に浮かびます。
 まず、ひとりひとりの器をかまえて、包丁が嫌いだから最初にトマトを切って、じゃまだから器に入れて、それからレタスをはいで、洗って、ばりばりしながら各器に配分して。
 うん、うちの狭い台所で、最小の作業スペースでことを終わらせることは考えられてるようですな。

 にしても、これで、できあがりッ!……か!?
 たぶん、「めんどくさいことがおわったぜ〜!やっと、テレビが見れるぜ〜!(≧∇≦)b」っていう、満面の笑み。

 やばいっ。こいつ、マジでやばいっ!


 これで中1なんですが、「勉強せんでいいから、お手伝いやれや!ドカッ!」っと、ケリを入れる必要がありそうです。
 親の顔は、鏡に自分の顔を写して確認しますから大丈夫です。

 

 五百蔵が学生のころは、数学の先生が毎時間のように「数学ができるようになりたかったらお手伝いをしなさい」とうるさかったですが、親になってみるとその言葉が真実であったことが痛いほどよくわかります。

 この、一を聞いて十を知る感じ。頭の中で完成図を描いてから段取りを組み立てていく感じ。相手や対象を観察せねば良い手助けが成立しない感じ。すみずみをきちんと合わせねば、ぎくしゃくしてお手伝いが楽しくなくなるこの感じ。
 遠回しだけど、ちゃんと数学につながっていると、今なら感じることができます。

 今の時代でもそんな先生がいるんだろうか?
 ぜひともいてほしいと、せつに祈っております。

 

 ちなみにこのガキ、勉強も「めんどくせ〜」とか言ってやらないんですけど。
 ほんとやばいです。
 あ、親の顔は自分で確認しますっ!……でも、鏡、どこだっけなぁ……。

 

 ということで、近いうちに、またひとりでサラダを作らせてみたいと思います。
 この、レタスの下にトマトがある超絶食べにくさを覚えておいてくれたらいいんだけど……。

 どんな料理も最後はお腹に入れば全部同じ、なんて、とんでもない!

いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。