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「太陽」をテーマに絵画を鑑賞したら、画家たちそれぞれ太陽に生かされてたことに気づいて泣けた話

アートダイアローグスタジオENDIAでは、2024年から毎月テーマを1つ決めて、それにまつわる作品を鑑賞していくというスタイルを実施しています!

1月のテーマは「太陽とアート」でした◎

3回のレッスンで、計4作品(最終日だけ2作品)見ていったのですが、それぞれの対話型鑑賞を経て、私がそれらの作品を改めてどうみたか、どう考えたかをまとめていきたいと思います!

みなさんと見ていけたからこそ辿り着けた解釈です!


1作品目 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「朝日の中の婦人」

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「朝日の中の婦人」 (1818年ごろ)、 油彩 ・カンヴァス
22 cm × 30 cm (8.7 in × 12 in)、  フォルクヴァンク美術館、エッセン

これ、早速タイトルについてですが、「朝日の中」と書いてあるから朝日というわけではなく、画家本人が言及しているわけではないので、朝日か夕日かは断定されていない作品です。

今まで数々の研究者がこの作品に対して解釈を述べているという点もすごくおもしろいところで、既に1974年以前には30解釈ほどが発表されています(そのうち26解釈は日の出という見方だそう)。

この作品、毎回見るたびに印象が変わるというか、繰り返し何度もみたくなるような不思議な魔力が宿っているんです…!

というわけで、今回遠藤は、朝日か夕日か白黒つけるというよりは、「朝日とも言えるし夕日とも言える」という見方でいきたいと思います◎

さて、まずこのアリアを歌い上げるオペラ歌手のような、もしくはオーケストラをしたがえる名指揮者のような人物ですが(TARのケイト・ブランシェット様みたい♡)、後ろ姿なのでどんな表情なのかはわかりませんが、堂々と道の真ん中に力強く立っているように見えます。

まるで何かを迎い入れるような、抱きしめる準備ができているかのようにやさしく腕を広げ、手のひらを太陽の方に向けていますが、少し右の腕の開きが左に比べて大きいことと、右耳についてるピアスだけ襟に隠れていることから、やや首を右に傾げていることがわかります。
もしかすると「魔法使いの弟子」のミッキーが手を振り上げてほうきに魔法をかける時の動作のように、この女性も右手を振り上げると太陽が昇るみたいな(右=東だとしたら)、そんなミラクルな魔法も使えるんじゃないかという気もしてきます。

オペラ歌手であり、指揮者であり、魔法使い?!

更に良く見ていくと、放射線状に伸びている太陽の光だと思っていたものが、まるで彼女自身から発せられる後光のようで、そこから「聖母マリア」のような崇高な人物が連想されます。そうなるとこの腕は死んだイエスを抱える嘆きのマリア、つまりピエタとも一致しそうですね。もしこれが夕日だとしたら「終わり」や「死」、「悲しみ」というイメージとも繋がってくるのではないでしょうか。
でもキリストは「復活」するので、また日が昇るという「希望」「救い」も同時に意味していることになりそうです。

ミケランジェロ・ブオナローティ『ピエタ』(1499年) 大理石、174 cm× 195 cm
サン・ピエトロ大聖堂

一方で太陽の光がちょうど女性のお腹のあたりから放たれてることから、もしかすると妊娠、つまりお腹に赤ちゃんが宿った神秘的なタイミングで、彼女はそれを迎い入れる「母」とも考えられませんか?
もしこれが日の出だとしたら「はじまり」や「生命の誕生」、「希望」「喜び」のイメージとも繋がってきそうです。
ただ、妊娠って「不安」や「恐れ」などもきっとありますよね…。なので、幸福感で満ち溢れているというよりは、感動も恐怖も入り混じって「打ち震えている」と表現するのが近いのかもしれません。


ちなみに、この扇状の太陽光線が描かれず、ただ空の色が黄色やオレンジに染まっているだけだった場合、もっと静かでより曖昧で不安感を強く感じる絵になっていたと思うのですが、これがあることで、一気に神秘性や劇的さが表現されるというところがおもしろいですね。漫画でいう集中線的な◎
冒頭にオペラ歌手や指揮者の例も出しましたが、音楽が響き合って広がっていくようなイメージもこの線があるから感じられることに気づきました。
普段実体としてつかめない光や音が可視化されるということにわたしたちは神秘性を感じるのかもしれませんね。

ぴゃ~!

次に場所についても見ていきましょう!
まず女性が立っている場所が謎すぎません?
草がここだけ生えていないということは人が良く通る道なのでしょうか。
もしかするとここは現実にある場所ではなく、産道のような妊娠、出産のメタファーで、いろんな女性がここを訪れてきたという風にも考えられそうです。
ちょうど女性の足元ぐらいで行き止まりになっているのか、それとも前か右にも道が続いてるのか判断がつかないのですが、出産には命を奪う危険があるということを考えると未来が続くのか、はたまたここで終わってしまうのか、両方ともの解釈ができそうです。なんて不穏なんだ…。え、道の先は未知ってこと?!(ひゅ~)

その道の両側にある3つの茶色いイノシシみたいなのが、おそらくだと思うのですが、いでよ岩!って感じで、急に現れたような不自然さがあります。(この女性、もしかして岩も出現させたんか…?)それに顔をちょんちょんっと描いても成立しそうな形のキュートさもあります。
これもメタファーと捉えてみると「岩=ありのまま」ぐらいしか連想できなかったので、安易に「聖書 岩」で検索したら「岩=神」という衝撃的な事実が発覚しました(笑)
猛獣や外敵から身を隠す役割をしてくれたり、戦争の時は砦になったり、洞窟みたいに仮の住まいになったりと、古代イスラエル人にとって苦境を救い、守り、養ってくれる存在として聖書の中では神が岩に例えられるそうです。
と、これも1つの解釈に過ぎませんが、この岩は実は彼女を守ってくれているのかもしれませんね。よく見ると岩の足元に小さなかわいい白い花が咲いてるのですが、それも一緒に守ってくれてるようにも見えます。安心感が半端ないボディーガード岩ということが判明しました(尊い…!)

岩って神やったんか

そしてその向こうに広がる花が全然咲いてない草原、まるで廃土によってできたような味気ない丘、2本の木の間には小さな教会、そして一番奥に見えそうで見えないぼやけた大きな山がありますが、全体的にとても寂しいですね…。色も茶色だらけで彩度が低く、他の人の存在も自然の迫力もあまり感じられません。サバンナのように潤いのない乾いた世界にも見えてきます。

もしかするといろいろな植物や生命が芽吹く前の原始的な形態で、この後、太陽が昇ると一面光輝いた世界に変化するのかもしれません。

旧約聖書の創世記には神が大地をつくり、植物ができたのが3日目と書かれているのですが、先ほども話に出た新約聖書でイエスが復活するのも死から3日後なので、それらを関連づけてるようにも読み取れそうですね。

なんか全部茶色い

さて、ここで背景情報になるのですが、
画家のフリードリヒ、この作品を描いた1818年に19歳年下の妻カロリーヌと結婚します。そして翌年の1819年の8月に第一子のエマを出産しているそうです。
ということはおそらくここに描かれている女性は妻のカロリーヌなのでは。

それからフリードリヒは妹、姉、母を早くに亡くしたり、13歳の時には河でスケート遊びをしていた時に氷が割れて溺れ、彼を助けようとした弟が代わりに溺死してしまうという事件もあり、長年自分を責め続けて、うつ病を患ったり自殺未遂も起こしているそうです…。

そんな人生経験を鑑みるに、フリードリヒはカロリーヌとの結婚による新しい人生を一度死んで復活するイエスとしてなぞらえ救いの象徴として彼女を描き、また新しい命を育むことのできる母(人間の母であり、大地の母でもある)としての偉大さや神秘性も同時にこの絵に描き表したのではないでしょうか。

一方で大切な人を失う経験を何度もしてきていることによる恐怖心がすぐに消えるわけはなく、先の見えない道から不安や怯えを感じると共に、荒涼とした背景は今の彼自身の心そのものを暗示しているのではないかと考えられそうです。

そしてまるで男女がそっぽ向いてるような2本の木や、そもそも彼女が後ろ姿で描かれているところからも、まだカロリーヌとも正面から向き合うことができておらず、背中から見つめることで今は精一杯なのかもしれません。う~ん!

お互いがそっぽ向いてるようにも見えるし、絵の構図の通りに左の木が右の木の背中を見てるようにも見えるね

ここからカロリーヌと共に過ごしていく人生の中で様々な植物が実り、世界が色付いていくといいなと思いました。

そしてこの作品、生前ずっとフリードリヒが手元に置いてたそうです。
彼にとって人生の道しるべのような大事な作品だったのかもしれません。

☆☆☆☆☆

おまけ

ちなみに、私この作品を見てると、無意識に同じポーズをとってしまうのですが、みなさんはどうですか?(笑)
この人と同じ気持ちを味わってみよ~!とかこの人物に自分を憑依させて重ね合わせてみよ~とかそういうことではなく、つられるんです。つられてしまうんです…!!(なんでや)
もしかするとこの女性の後ろにわたしみたいに同じポーズを取ってしまう人が何人も連なってるんじゃないかと(笑)
この人がこちらを向いてポーズをとってたら、おそらく真似はしていないと思うんですよね。
この女性がこれから作っていくだろう未来にすごく期待が持てるというか、見守っていたいというよりは「ぜひついていきたい!あなたが作る未来を一緒に見たい!」と思わせるいい後ろ姿。

『名後ろ姿百選』があったら絶対選びたい


2作品目 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「種をまく人」

「種まく人」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1888年6月)アルル
油彩、キャンバス、64 × 80.5 cm、クレラー・ミュラー美術館

太陽と言えばこの作品だろ!と思い、みんなとぜひ一緒に見てみたいと選んだ作品です。

まずはこの目にも眩しい太陽の光空の青さなんてどこへやら、空全体がこれでもか!と光で埋め尽くされて、黄金色に染まっています。
点描のような粒が外側に向かってほとばしるようなタッチで描かれているので、今まさに凄まじいエネルギーを放出させているところのように感じられますね。
こんな光景に実際に出逢ったら、ただただ圧倒されてしまいそうです…!

ゆうやけこやけの「♪カラスといっしょに帰りましょ~」が私たち日本人のDNAには刻まれていることからも、これは夕日なのかなと想像できそうですが、朝日のようなはじまりを彷彿させる力強さもあり、この作品も「朝日とも夕日ともどちらとも言えそう」な太陽ですね。

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