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掌から溢れ落ちる記憶たち

ほろほろと消えゆく記憶の中で、淡々と毎日が過ぎていくばかりで私はただ時の流れに揺蕩うことしか出来ないでいる。

今月の頭に東京に行った。

ある人に会って、そうしたら、その帰りあたりから変な「違和感」を覚えるようになった。

DVから逃れ名古屋に家を借りて4年近くになるが、その名古屋での生活が丸ごと「別の人の体験してきたこと」のように感じて、違和感があるのだ。

私は今までどうやって生きてきたのか。
何を思い、何をして、「山口葵」を作りあげたのか。
私がしてきたことはなんなのか。

そんな大きな違和感から、一年以上模様替えしていないのに家具の配置が昨日変えたのではないか、というような小さな違和感まで、今の私の毎日は不自然で、奇妙で、別の世界にも来たように感じる。

そして少しのめまいが私を悩ませる。

調べてみると解離症状というものが近いようで色々と当てはまった。自分が自分でなくなる離人症に少し似ている。離人症は前に何度かなったことはあるが今回のような大きな「違和感」というのは、初めてだ。

数年分の記憶が飛んでいる。いや、正確にはあるのだけど別の人の記憶のように感じる。確かに私の記憶なんだろうという自覚はある。

ただ、違和感がある。そんな状態だ。

明日神経科に行こう。薬を出されるのかな。投薬で何か変わるのだろうか。全く検討がつかないが、何もしないよりはましだろう。

解離症状というのは強いストレス負荷によって引き起こされるということが書いてあった。強いストレス、この地に来てずっとあったなぁ。何年も前からほんの最近まで、苦しんで、苦しんで。

暴力や暴言からは逃れられたけどどこか私はいつもなにかに苦しんでいたように思う。

家族とか恋とか友達とか仕事とかお金とか。

月末に地元に帰るのだけれど、それで気が抜けたのだろうか。安心したのだろうか。

私の心はたまに自分のものなのに不明な動きをするから、よくわからないな。確信が持てない。

ああ、思い出が消えていく。

手のひらでぎゅっと力を込めて握っていたここでの数年間の思い出達が、今ではもう砂ぼこりになって消えてしまったのだ。

私はそれを悲しむことなく、
すくい上げることなく、
空に舞うのを見つめてただ佇んだ。

この数年間はなんだったんだろう。

無駄だとは思わないが、無駄じゃなかったとも言いきれない。そうだ、ふと正気になったのかもしれない。

この不思議な感覚は、病気とかではなくて、ただ単に今この地にいることが違うのだと体が反応しているのかもしれない。

先生に聞いても絶対的な答えなんて持ってないだろう。少しはモヤは晴れるだろうか。

苦しんできたものの中でいちばん大切なのは「家族」の存在だと、今の私はもうわかっている。それがこの違和感を引き起こしているのか。

家族がそばに居てくれたら、なんでもやれる気がする。うまくいかないことも、きっとうまくいくようになる。家族の存在は私に力を与える。私のお腹で育った私の「分身」であり、宝物なのだから。

眠れない夜の中を砂ぼこりの記憶が飛んでいく。涙を流しながら不幸せを幸せと思い込もうとしていた、過去の私に思いを馳せてみる。

力んで生きていたあの頃の私へ、肩の力を抜いて生きるんだよと伝えてあげたいな。

山口葵

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山口葵|共感覚を言葉と絵で伝えるアーティスト 表現者
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